エンタメ

<純烈物語>愛するからこそ「忍の一字」。ファンは声援と握手を封印した<第97回>

純烈大江戸

ライブ終演後に行われた「撮影会」

<第97回>愛するジャンルを守るファンの姿勢。純烈が大好きだから声を出さない

 20分に及ぶ公開質疑応答は、観客による万雷の拍手によって締められた。よくよく考えればおかしな話なのだが、当然のごとくそのようなリアクションが発生するほど、純烈の記者会見は見世物然としていたことになる。  そこからファン待望の撮影会の準備に入る。新型コロナウイルス感染対策が何よりも優先されるとあり、メンバーと並ぶさいは直接的接触や会話はNG。  ステージ真ん中にはコの字にしたアクリル板が立てられ、そこへ一人ずつ立っての撮影となる。つまり、顔が写る正面以外は仕切られる形だ。  撮影会が再開されたというニュースだから、プレスもその模様をカメラに押さえようと客席最前の下手側に並ぶ。ここでも顔が公開されてもいいかどうかをスタッフが一人ずつ確認し、OKのファンのみ撮るよう配慮が施された。

ライブ再開後、念願の撮影会で純子さんは

「久しぶりだったので緊張しました。(アクリル板があるのは)ちょっとさみしかったかな。一人だけで撮っている感覚でした。横を見ればメンバーの方々がいるんですけど、さわってもいないので……。  それでも、また撮影会を迎えられたのは嬉しかったです。去年2月のコロナになる前、ここ(東京お台場 大江戸温泉物語)へ来て以来の純烈ライブでした。やっぱりここが好きで、ファミポートで発売と同時にダーッ!とやったら最前列が取れて……頑張りました(ニッコリ)」  1番目に舞台へ上がり撮影した純子さんは、喜びと興奮を隠しきれぬ口調で語った。確かに三方向を仕切られるとあれば密閉感もあったはず。メンバーの姿は見えているのにそういう感覚になるというのも、不思議だっただろう。  何人かのファンに聞くと、ホールにおけるコンサートと大江戸温泉のようなスーパー銭湯における“地べた座りのライブ”は違う位置づけという口ぶり。純烈を楽しむ点では同じだが、CD購入特典の撮影会を通じてより近い距離感でふれあえるのがたまらなくて、チケット発売と同時に頑張るのだという。 「ラウンドがなくても純烈はMCで話すことが楽しいので、それが味わえれば全然モノ足りなさはないですね」  唄、トークと並ぶ三種の神器の一つ、ラウンドを持ち駒として失っても、あとの2つでカヴァーできるほどのクオリティーを純烈は誇っている。もちろん再びメンバーが目の前までやってくる日を望むが、それを待つことさえも楽しめるのが純子&烈男の皆さんだと思えた。  その日を迎えられるようにとの目標があるから、制約の多い形式でもしっかりルールを守る。やる前は「人間ってわかっていても、目の前の素晴らしいと思ったものにリアクションしちゃうじゃないですか。それが、撮影会ではどうなるかが今日の肝」と酒井一圭は言っていたが、嬉しさのあまり思わず大きな声を出したり、接触してしまったりするファンはいなかった。  今ほど“ジャンル愛”が問われる時代はない。音楽のライブも映画もプロレスも、自分たちが好きなものからクラスターを発生させぬよう、マスク着用を徹底し、除菌もマメにおこない声出し禁止を守っている。  受け手側の意識が低いと、ジャンルそのものが継続できなくなる。昨年末、プロレス界のMVPは誰かという議論になった時、ある関係者が「有観客でも声を出さずに協力し、それによってプロレスを続けさせてくれたファンの皆さん」と言った。その通りだと思った。  自分が愛するジャンルを守るために、そのファンを含んだ携わる者たちがどれほど努力し、そしてクラスターを発生させないという実績を残してきたか。そこに誇りと自信があるからこそ、曖昧な基準で無観客開催などの要請を押しつけられてはと、ライブイベント関連団体や全国興行生活衛生同業組合連合会が声明を出した。
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「初めて声を出せないライブに参加したんだけど、正直大変」
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