更新日:2021年06月13日 08:15
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<純烈物語>BARBEE BOYSが小田井涼平を邦楽へといざなった<第100回>

純烈_小田井涼平

<第100回>小田井涼平はバンドブームのリアルタイム世代、洋楽から邦楽へいざなったBARBEE BOYS

 1971年生まれである小田井涼平の少年時代は、ソノシート文化の全盛だった。レコードよりも薄くペラペラで『小学一年生』のような学年誌の付録につけられており、全国のチビっ子たちがそれを通じアニソンを聴いていた。  マジンガーZやゲッターロボの主題歌を好んで聴くようになったのが、小田井にとっての音楽の入り口。加えて家には両親が買ったドーナツ盤がいくつもあり、小さなレコードプレイヤーでかけていた。音楽のツールがいくつもある今とは違い、耳に入ってくるとしたらテレビかラジオ。  小田井家はラジオを聴く習慣がそれほどなかったため、必然的に“テレビ括(くく)り”となる。大ヒットした『およげ!たいやきくん』は言うまでもなく『サンデーパパ』『パタパタママ』といったポンキッキソングをよく聴いた。また、ピンク・レディーやキャンディーズが流れてくると、妹が踊りをマネしながら口ずさむ。 「ピンク・レディーやキャンディーズはドリフターズの番組によく出ていたやないですか。志村けんさんとか加藤茶さんと絡むのが僕は好きで見ていて、そこで歌も聴くことになる。流行歌として口ずさむことはあったんでしょうけど、そこまですごいファンかというと断片的にサビの部分だけ知っているような聴き方でしたね。  小学校高学年になってイモ欽トリオが出たんです。『ハイスクールララバイ』(作詞・松本隆、作曲・細野晴臣)が流行って、そのあとの『ティアドロップ探偵団』や『欽ドンの良い子悪い子普通の子のテーマ』とか、ああいうのを全部覚えました。だから番組括りなんですよね、音楽との出会いは。レコードも簡単には買えないので(シングル盤が700円)、テレビの前にラジカセを置いて録音して聴いていた時代です」

アニソンにハマった中学時代、洋楽に魅せられた高校時代

 中学へ入る頃にはアニソン一本となり、サンライズ系ロボットアニメの主題歌を聴き漁った。今思うと、それが音楽を音楽として意識するきっかけだったと小田井は振り返る。  登場人物のリン・ミンメイ(声・飯島真理)が歌う『超時空要塞マクロス』の主題歌『愛・おぼえていますか』(作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦)は『ザ・ベストテン』でランクインを果たすほどのヒットとなり、学校でもクラスメートと合唱した。そこから急転し、洋楽へハマったのもテレビがツールだったから。  中3から高校へ進学する頃、小林克也の『ベストヒットUSA』やマイケル富岡の『MTV』が始まる。『夕やけニャンニャン』を見ているとよく洋楽が流されており、そのカッコよさに「なんていう曲だろう?」と思っても当時は調べようがなかった。  そんな時、洋楽番組を見るとアメリカやUKチャートに入った曲が流され、夕ニャンのあのフレーズが聴こえてきて名前とアーティストが解明する。さっそく小田井はまだ出始めの頃のレンタルレコード店にいき、カセットに録音しまくった。 「それが高校2、3年。洋楽のきっかけはWham!(ワム!)でした。マクセルのカセットテープのCMに『Bad Boys』が使われていて、オシャレでカッコいいと思ったところから追いかけ始めてね。あの頃って、ステレオコンポやラジカセといったオーディオ機器がAV(オーディオ&ビジュアル)時代といって流行っていた。それで家電メーカーもCMソングに力を入れていたんです」  そこからはDURAN DURAN、STARSHIP、THE BANGLES、シーナ・イーストン、シーラ・E、マイケル・ジャクソンに、シブいところではブルース・スプリングスティーン。ZZ TOPにハードロックバンドのKISSにいたるまでジャンルを問わず洋楽であれば聴きまくった。  そのほとんどがCMソングで、それきっかけにアルバムを借りて全曲聴きレパートリーを増やしていった。1985年にアフリカ飢饉と貧困救済のキャンペーンソング『We Are The World』が発表されると、そこに参加した全アーティストの曲にも耳を通した。  FM情報誌『FM STATION』を買うと、表紙のイラストを描いていた鈴木英人のインデックスがついている。それを切って、レタリングシートを買い文字を記すのが楽しくて仕方がなかった。こうして自分が編集したセットリストによるカセットテープを量産していく。  そんな洋楽一筋の小田井が、邦楽に衝撃を受ける。テレビ大阪でやっていた音楽番組をたまたま見ると、男性と女性が交互に歌うバンドのミュージックビデオが流れた。
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BARBEE BOYSにひっくり返った
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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