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<純烈物語>BARBEE BOYSが小田井涼平を邦楽へといざなった<第100回>

BARBEE BOYSにひっくり返った

 東京湾と周辺の河川を走る船の上で歌い、踊って演奏する5人組の頭上を、モノレールや飛行機が通り過ぎていく。「いったいなんだったんだ!?」と小田井が思ったその曲は、BARBEE BOYSの『なんだったんだ? 7DAYS』。 「カッコいいな、この曲って思いましたね。KONTAさんの声がものすごく声が高いんで、勝手に洋楽っぽく聴こえたんだと思います。あの曲に関しては、杏子さんのパートが少ないんで最初、コーラスの人だと思ったんです。それでも男と女がボーカルで歌うんやなと。  男女のデュエットって演歌とかではあったけど、こういうスタイルはなかったやないですか。しかもKONTAさんが女の人と同じキーで歌っているという。さっそくマネしましたけど高すぎて無理。バービーがきっかけで邦楽に変わっていきましたね。やっぱり、英語だと歌えないんですよ。なんとなく適当な英語で歌っていたのに対し、日本語の方が入ってくる。そこで、ひっくり返りましたね」  すでにレンタルレコード店はCDに変わりつつあり、小田井はファーストアルバムから7DAYSが収録されているサードまでの3枚を借りる。どれもこれも、とにかくカッコよかった。歌詞における男の女のやりとりに、大人の匂いを感じた。  2019年6月の純烈NHKホール単独公演にて、小田井はBARBEE BOYSのヒット曲『目を閉じておいでよ』をステージ上で歌った。これは、演出担当・小池竹見のアイデア。女性ユニットのベッド・インがゲストとあり、男女の掛け合いということでセレクトされたものだった。 「あの時に思ったのは『目を閉じておいでよ』ももちろん好きやけど、バービーの曲としてはきれいなんですよね。あのバンドならではの魅力って、歌詞も含めての泥臭さやないですか。『はちあわせのメッカ』とか男女の関係を歌っていながら、男と女の言い分が噛み合っていない。それがいいんです」  今でもこうした認識を持っているということは、リアルタイム時はどっぷりと歌詞の世界観にハマったのだと思われる。白川裕二郎が、尾崎豊によっていざなわれたように。  小田井がBARBEE BOYSを知った頃は80年代バンドブームが押し寄せてきたタイミングだった。そこで誰もが口にし、そしてコピーに走ったのがBOOWY。

「ボウイってなんや? デヴィッド・ボウイとちゃうんか」

 洋楽を聴いていた時点で、周りの音楽好きからいくつかのアーティスト名が出ても、最終的には「でもやっぱBOOWYだよなあ」との結論にいたるのが常だった。その中で小田井だけが「ボウイってなんや? デヴィッド・ボウイとちゃうんか」といったノリ。 「その頃はバービー一本でほかはまったく聴かなかったのと、他人がいいって言っているのが嫌だったんですね。洋楽の時から、自分が作ったカセットを友達に聴いてもらって、いい曲やなって言ってもらいたかった。そういう気持ちが浮かぶと、マニアックな曲を選ぶようになる。そんな流れで来たから、みんながBOOWYって言うほど俺は絶対好きにならん!ってなったんです」  学生同士でお金を出し合って地元のホールを借り、5組ほどが出演するライブへ友達が出るからと足を運んだら、すべての参加バンドがBOOWYだった。その後、いよいよ自分たちもコピバンをやろうとなり、まずは誰の曲をコピーするかとミーティングしたところ、ここでも「俺、氷室京介になりてー」「ホテイ(布袋寅泰)のギターソロを弾きたい」といった声で埋め尽くされる。 「おいおい、ちょっと待て。BOOWYはみんなやってるぞ。やめへんか?」 「じゃあ、何をやるんだよ」 「BARBEE BOYSって知っとるか?」 「知っとるけど、よう聴いたことがない」  友人たちに、小田井がBARBEE BOYを聴かせると「意外といいやないか。これでいこうか」となった。 「でもさ、これ……女の子いるやん」  バンドブームといっても、それに乗るのは男子だけ。高校生の女子からすれば、異性の中に一人だけいるのは抵抗がある。それでもなんとか見つけて、練習に入る。小田井がやりたかったのはサックス。BARBEE BOYSではボーカルのKONTAが吹く。  でも小田井は、歌の方は勘弁してほしかった。ということで、このコピバンは本家よりも1人多い6人編成となった。  とはいえ、小田井はサックスをさわったことさえない。まずは現物を手に入れる必要がある。バンドを組んだ年の夏休みは、早朝5時に起きて新幹線車内で販売する弁当作りのアルバイトを続け、その費用を稼いだ。  10万円程度のみすぼらしいソプラノサックス。それが、初めて手にした自分の楽器だった。管楽器は練習場所に苦労する。部活が終わったあと、近所にあった一級河川敷の猪名川で真っ暗な中、プースカ音を鳴らしていると2度ほど警察へ通報された。  コピバンのためそんな目に遭いながら、それでもBARBEE BOYSをやりたかった。小田井涼平、17歳の頃の『負けるもんか』である――。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。
白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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