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<純烈物語>テレビから流れる音楽が後上翔太のトピックとなった<第102回>

純烈_後上翔太

<第102回>若き日の後上翔太にとっての音楽は人生におけるトピックに付随してくるもの

 後上翔太にとっての音楽の源流は、ひとことで言うと「テレビ」となる。幼稚園の頃は『鳥人戦隊ジェットマン』ごっこに興じ、その主題歌を口ずさみ『ドラゴンボール』へと移っていった。  だが小学校に入ると戦隊モノが好きなクラスメイトがおらず、見る時間帯も夕方の17時から18時、19時と次第に遅くなっていく。夕食時に家族が揃って同じ番組を楽しんだ、テレビが娯楽の王様だった時代――21時台のドラマのあとは22時より『THE夜もヒッパレ』が始まる。 安達祐実の『家なき子』や堂本剛の『金田一少年の事件簿』が放送される土曜日。チャンネルをそのままにしていると「今、話題の少女」的位置づけで安室奈美恵が登場し、自分よりちょっとだけ年上の女子4人組・SPEEDが歌っていた。 「小学3年ぐらいまでがTKサウンドの全盛期で、小室哲哉さんの曲がずっと流れていたような記憶ですよね。もうTRF、Globeの時代でTM NETWORKは“コムロが昔やっていたらしい”程度。今みたいにYouTubeを開けば……という時代じゃないから、そこはへぇーって思うぐらいで、さかのぼることもしなかったんです」

テレビドラマから音楽を拾った小学生時代

「そういう中で、テレビドラマから音楽を拾うように必ず何かしらと紐づけされているんですよ。家の中や日々の生活、学校での出来事、遊びと、それらに付随してくるものとしての音楽。だからアーティスト括りとか、ジャンルで分けられて好きなものから入ったという形ではなく、その時々のBGMとして追憶の中で流れている感覚ですね」  たとえば小学生の頃、好きな女の子と映画へいくとなった時に選んだのが『踊る大捜査線』だったから、主題歌の『Love Somebody』はドラマ編よりもシネマVer.の方が今も強く残っている。また、6年時は夏期講習で塾に通い、家に帰って食卓へつくと必ず『世界で一番パパが好き』がブラウン管に映り、そこで流れるTUBEの『きっと どこかで』が好きになった。  小学生たちは、学校でのコミュニケーションツールとしてドラマを見る。共通の話題で盛り上がるのが楽しかった。  アーティスト目当てで音楽を聴くのは、女子の方が早熟だった。普段は学校にCDを持ってくるのはご法度だが、年に一度ほど解禁される。  そうなると女子はV6の森田剛、三宅健、岡田准一によるComing Centuryの『夏のかけら』を教室で延々と流した。それに対し、男子にとっては悪フザケの場。CDラジカセの音量をMAXにすると、イントロが流れるまでの間に教室を飛び出し、自分たちがいなくなったところで『エキセントリック少年ボウイのテーマ』を浜田雅功よろしくダータカダッタタカタカタン!と爆音で何百回も流す。 「俺はこれが好きだし、元気になるからいいじゃん!」  ホントにやめてよね!と怒った顔をする女子のリアクションを面白がりながら、悪ガキ翔太はニヤつきながらそう言い返した。当時の後上にとって音楽とはそういう距離感のものであり、よもやこんなにも密接な関係になるなど想像もしていなかった。
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