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<純烈物語>松岡英明、岡村靖幸……小田井涼平はひとクセあるソロアーティストに影響を受けた<第101回>

純烈_小田井

<第101回>「“THE”ではなく、そこから派生してクセのある方にいっている人たちが好き」な小田井涼平の音楽的嗜好

 BARBEE BOYSのコピーバンドをやるために、生まれて初めて自分の楽器を買った17歳の小田井涼平。KONTAが吹く姿を見るまでは「まっすぐのサックス」など見たことがなく、ソプラノやアルトの違いを言われてもチンプンカンプンだった。  吹奏楽部でソプラノサックスを担当する友人がいたでの、音の出し方からつきっきりで教わった。その彼が学校にある値段の高い楽器で奏でると、ホンモノのKONTAのようにカッコいい。 「ええなあ……こんなに吹けるのが羨ましいわ」  個人指導と自主練、そしてメンバーとのセッション。スタジオを借りるお金もなかったから、ギター担当の実家を借りた。そこは洋服店で、2階が倉庫兼事務所となっており夜は従業員がいなくなるので使えたのだ。  全員がゼロからのスタートであり、スコアを見ながら1曲ずつマスターしてライブで演れるレパートリーを増やしていく方式。小田井は「サックスが入っていない曲は選ばんといて。ちょっとでも入っているのにして」と釘を刺した。  まずメンバー全員が演りたいと一致したのが『離れろよ』。イントロからサックスが入るナンバーで、小田井もこの曲は絶対!と思っていた。そこから『ラサーラ』『チャンス到来』『でも!?しょうがない』『もォやだ』『負けるもんか』と増えていき、せっかく女性ボーカルもいるのだからと杏子がソロで歌う『STOP!』も入れた。  最後に「アンコールが来たら」と『C’m’on Let’s go!』もセットリストに。この曲はサックスパートがなく、最初から最後まで踊ってごまかした。

サックスパートゆえ、間奏以外はほぼ踊っていた

「ほかの曲もKONTAさんが歌っていない部分でしか吹かないわけですから前奏、間奏以外はほぼほぼ踊っているだけなんですよ。でも、サックスがやりたかったからそれでも気にならなかった。あとは、妹がエレクトーンを弾けたので『ここ、サックス入ってないけど、なんかフレーズ作ってくれへん?』って頼んで、入れるようにしたり」  そこまでお金を時間と努力を注ぎ込みながら、ライブをやったのはわずか2回。そのために高校2、3年の間はちゃんと練習を続けたという。  小田井としては、みんなで一緒に音を出すのが楽しかったから、それが練習でもライブでもよかった。まだ家庭にビデオデッキが普及していなかった頃、その洋服店にはVHSもベータもあり、いろいろなアーティストのライブビデオを見ながらあれこれ語り合う時間がたまらなかった。  思い返せば、この頃が音楽の魅力へ本格的に目覚めた時期となる。ただ、接し方はプロとなった今とはまるで違う。それを生業にするなど、発想すら湧いてこなかった。 「いやホント、高校時代の思い出作りですよ。音楽で食っていこうだなんてそんな! 僕らとは別のバンドをやっていた友人たちは本気で、同級生のギターとベースもすごくうまかった。結果的にはなれなかったけど、バンドで食っていきたいと決めてやっていたから、死ぬほど練習するんです。  ベースの子も全然違ったもんね。チョッパー、バッチンバッチン練習しているのを見て、始めた時期はほぼ一緒なのに練習量の違いでこんなに差がつくんやと。その頃になるといろんなバンドが出てきて、爆風スランプの江川ほーじんさんがバリバリのチョッパーで、それを彼が生で演るのを見た時は、うわー、ホンマにやれるんや!って圧倒されました」  プレイヤー・小田井としての音楽活動は、高校卒業と同時に終了。大学へ入ると再びリスナー専業に戻り、聴くレパートリーも増えていった。
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「見えない!見えない!」ライブの客席で後ろの女性から受けた圧力
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