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89歳の広岡達朗が明かす、長嶋茂雄との“不仲説”の要因

不仲説が流れた要因は?

広岡達朗

広岡達朗氏

 今の球界に、長嶋茂雄を呼び捨てにしながら当時を語れるのは広岡だけである。かつて球界内外では二人の不仲説が流布されていたが、まったくのデタラメだ。  引退後も長嶋は「ヒロさんヒロさん」と慕い、広岡は広岡で長嶋を「面白い男」として可愛がった。そもそも不仲説が流れた要因を遡ると、’64年8月6日の「長嶋ホームスチール激怒事件」に行き当たる。 「相手は国鉄。0対2とリードされた7回1アウト3塁。ランナーが長嶋。普通に考えたらこの状況でホームスチールなんてあり得ない。監督の川上さんが長嶋だけにわかるサインを出した。  この2年前にも同じことがあった。延長11回2対1とリードされ、2アウト3塁。この場面でのホームスチールはまだわかる。でも、0対2で負けていて7回1アウト3塁の場面ではまず考えられない。  長嶋はいいヤツだからサイン通りやっただけだけど、問題はサインを出した川上さんよ。俺への嫌がらせとしか思えない。まったく信用されてないことへの苛立ちで、そのまま家に帰ってやったよ」  ホームスチールは失敗し、広岡は次の球を空振りして三振となり、そのままロッカー室へ直行し家に帰ってしまった。つまり、れっきとした試合放棄だ。この事件により、巨人内における広岡の立場が危うくなっただけでなく、巨人史上稀に見る大問題へと発展していく。  広岡が広岡たる信念の源流は、“打撃の神様”川上哲治との確執にあったのだ……。 (第4回へ続く) 【広岡達朗】 ’32年、広島県呉市生まれ。早稲田大学を経て’54年に巨人に入団。引退後は’76年からヤクルト、’82年から西武の監督を務め、日本一に3度輝く。その後は野球解説者として活動を続け、89歳となった今もコラム連載を多数抱える 文/松永多佳倫 写真/産経新聞社
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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