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<純烈物語>パンクバンドでベースを弾いた経験が後上翔太の音楽のレパートリーを増やした<第103回>

純烈が楽器演奏をしたら「みんな死んじゃう」

「全然弾けなかったけど、やっぱりやってよかったとは思うんです。なぜなら、音楽好きのメンバーが語るのを聞くのが楽しかったから。なんでこんなにも楽し気に話すんだって。そういう会話の中で勧められたものはよくわからないけど聴いてみようってなれたし。結局、ベースという楽器を手にしたのはそのバンドをやっている時だけで、今やれと言われても弾けないです。1曲ぐらいなら頑張ればできるかもしれないけど。  純烈のステージで? うーん、今の方がおぼろげながらも音楽に触れているんで、そんなフワッとした感じでやったらみんなが死んじゃうからやめておきますよ。純烈全員が馴染みのない楽器をやるんだったら、箸にも棒にもかからないワンコーラスで、はい終了という前提のもとだったらいいかもしれないですけど、純烈バンドかあ……リーダー(酒井一圭)が一番やりたがらないだろうなあ」  小田井涼平のソプラノサックスのように楽器を弾いた経験があるならば、それをステージで生かせまいかと思ったのだが、後上は自分自身が音楽と深く直結していなかったから純烈ができているという認識。深い愛着や思い入れを持たず、職業として一定の距離感を保つことによりいい状態でいられるのだから、それは正解なのだ。

現在よく聴いているのは…

 ちなみに、現在よく聴いているのはOfficial髭男dismとback number。“初めてのシリーズ”としてプレイリストを作るさい、キャッチーでわかりやすいものが染みるとのことだった。  それはパンクを聴いていた頃から変わっておらず、ゴリゴリのタテノリよりもメロコア的な方が好きだった。曲を聴くにあたっては、冒険することなく安パイでいたいのかと振ると……。 「音楽の触れ方が全部“ながら”だからでしょうね。勉強しながら、走りながら、移動しながら……部屋で集中して聴くやり方ではずっと来なかった。日常に乗っかれる曲が多い。探求のためにさかのぼるとか、深掘りすることはやらなくても音楽が離れられないものにはなっている。  今回話してみて、積み重ねているうちに相当な量になっていることに気づきました。むしろ純烈を始めてすぐが一番薄かった。あの頃は、今にして思えばAKB48で塗り固められていましたね。これもキャッチーじゃないですか」  パンクロックからAKB48まで――振り幅の広さに限って言うなら、小田井や白川裕二郎を圧倒している。おそらく純烈を応援するマダム層には馴染みのないバンド名が並んだと思われるが、後上の人生を彩ってきた曲をなぞってみるのも一興だろう。 撮影/ヤナガワゴ―ッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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