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<純烈物語>パンクバンドでベースを弾いた経験が後上翔太の音楽のレパートリーを増やした<第103回>

純烈_後上翔太

<第103回>パンクバンドでベースを経験した後上翔太。積み重ねで振り幅広い音楽のレパートリーに

 純烈の公式サイトに掲載されている各メンバーのプロフィル。“好きなアーティスト”の項目を見ると、後上翔太は「内山田洋とクール・ファイブ、Hi-STANDARD、スキマスイッチ」となっている。 「あれはデビュー前に書いたものなんですよ。ムード歌謡グループをやるなら、ムード歌謡グループを1組入れておいた方がいいだろうと内山田洋とクール・ファイブさんに“媚びた”という、純烈前夜の私の判断です。  ハイスタは高校の時にやっていたパンクバンドで先輩がカヴァーするとだいたい入っていて、洋楽っぽいなと思いながら聴いているうちに馴染んできました。でも、それより前……中3の頃にはすでに興味を持ってて、テレビに出ないのかなと思っていたら『何言ってんの、このバンドは解散しちゃったんだよ』と言われて。いいなと思った時には見たくても見られなくて、だからこそ自分の中で神格化されていったところがありましたね」

ハイスタを好きになってもすでに解散していた

 1991年に結成されたHi-STANDARDは2000年に活動休止するも、パンクロック好きがこぞってコピーした。後上の高校でも文化祭ではいくつかのバンドが演り、ハイスタのナンバーが奏でられるたびに一体感が生まれる。  それが気持ちよくて、後上は惹かれていった。ただ、活動休止中だったため追いかけたくても追いかけられない。2011年9月にロックフェス「AIR JAM」で復活し、横浜スタジアムに3万人を集めたもののすでに純烈がスタートしており、お金がなかったためいけずじまいに終わる。  スキマスイッチは、自分にしては珍しくバラード系でありながら刺さった。『奏(かなで)』『ボクノート』『アカツキの詩』『view』といった曲名がスラスラと出てくる。
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ギャル男時代にアガる音楽を聞きまくる
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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