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江夏豊が明かした監督殴打事件の真相とは? ’70年代阪神タイガースの裏側

フロントから告げられた信じられない画策

江夏豊 この事件が起きた’73年は、江夏が最後に20勝を挙げた年でもある。この年のペナントレースは、V9を目指す巨人に対して江夏率いる猛虎軍団が挑むという構図で大いに盛り上がった。  しかし、優勝争いが激化したシーズン終盤、球団内では信じられないことが画策されていた。  名古屋遠征前に球団事務所に呼ばれた江夏は、フロントから「優勝はカネがかかるから2位でいい」と告げられたのだ。

「阪神のやり方には合点がいかないことも多かった」

「お世話になった球団だけに、このことは10年間は黙っていた。とにかく、阪神では人間関係で疲れ切ってしまった。阪神のやり方っていうのは……合点がいかないことが多かったよね。もちろん、阪神で大きくしてもらい、いい思いもさせてもらったという感謝は今もある。でも’75年シーズンが終わったとき、『もう野球はいいかな』と思っていたんだ」  阪神に在籍した9年で積み重ねた勝ち星の数は159。身を粉にして圧倒的な成績を残してきた江夏豊だったが、阪神最後の年は、すでに身も心もボロボロの状態だった。そんな折、江夏は野村克也と出会う……。(第7回に続く) 【江夏豊】 ’48年、奈良県生まれ。豪速球と卓越した制球力を武器に阪神、南海、広島、日ハム、西武で活躍。入団2年目に記録したシーズン401奪三振は今なお破られぬ歴代最高記録。リリーフとしても類い稀な成績を残し、最優秀救援投手6回を記録する 取材・文/松永多佳倫 写真/産経新聞社
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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