更新日:2021年08月16日 13:39
スポーツ

江夏豊が明かした監督殴打事件の真相とは? ’70年代阪神タイガースの裏側

江夏が明かした真相とは?

江夏豊

本文で触れた殴打事件が起きる1年前の’72年、通算100勝目を挙げた江夏を笑顔で迎える金田正泰(当時はヘッドコーチ)

「1度目は鈴木皖武さん(’62〜’75年、国鉄スワローズや阪神で活躍した投手。通算47勝)が名古屋の美そ乃旅館で、『監督の金田正泰と二人きりで話したいから』と部屋にいた浅越マネジャーやコーチの岡本伊三美を部屋から出て行かせたときのこと。 それからしばらくしてガシャンガシャンと音がしたと思ったら、『助けてくれー!』って金田監督が逃げ出してきた。その少し前に、台所横の帳場で皖さんが涙を流しながら奥さんに電話しているのを見ているだけに、よっぽど腹に据えかねているものがあったんだろうな。2度目は’73年のファン感謝デーやったね。 ゴンさん(権藤正利。’53〜’73年、大洋ホエールズや阪神で活躍した投手。通算117勝)から事前に『もう我慢ならない。やる』って相談を受け、もう止めても無理だと感じたから『一緒にいるから好きなようにやってください』と答えた。当日は俺が監督室の扉を叩いて、ゴンさんと金田監督の二人きりで話をさせた。扉の前で立って見張っていたら『助けてくれー』って声がしたよ」  ’70年代の阪神にはあらゆるトラブルの火種が渦巻いたが、その渦中にいた人物として江夏の名が必ず取り沙汰された。だが、江夏が騒動をけしかけたことは一度もない。ただ、後輩として先輩の相談を受け、相手の気持ちを慮って共に行動するなど、組織の理不尽な対応に男として一歩も引かなかっただけのことだった。

球団のいびつさを浮き彫りにする江夏

「ゴンさんは小児まひを克服して第一線で活躍した大投手。その年に『20年選手表彰』があったのを捨ててまで監督を殴ったんだから大した人だよ。その要因となったのは広島遠征の時。ナイターだから夕方頃まで空き時間があって、みんな自由にしているわけ。パチンコ好きのゴンさんはパチンコで大勝ちして吉川旅館に戻ってきた。1階に喫茶店があって、そこで金田監督と青(青田昇)さんがお茶をしていたんだ。 俺らはちょっと離れたところにいて『ゴンさん、おかえり』って挨拶した。ゴンさんも俺と同じタバコを吸うから『豊、後で持っていくからなぁ』って言ってエレベーターに乗りかけようとしたとき、金田監督が『猿でもタバコ吸うんか!?』と言った。そしたらゴンさんの顔が真っ青になったよ。そばにいた青さんが『それはないやろ』と監督を抑えたんだけど、やはり人として言うべきことじゃない」  話を端折らず、場所や人名に至るまで丹念に語る江夏。当時の球団のいびつさを浮き彫りにし、少しでも先輩の無念を晴らそうという強い意志が感じられる。
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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