更新日:2021年08月16日 13:39
スポーツ

江夏豊が明かした監督殴打事件の真相とは? ’70年代阪神タイガースの裏側

大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは? ’70年代の阪神タイガースで起きた、選手が監督を殴るという前代未聞の大事件。その渦中に、あの江夏豊がいた――。

前代未聞の監督殴打。渦中にいた“稀代の左腕”江夏豊が明かす真相

江夏豊

江夏豊氏

「今まで孤独だなんて思ったことがない。でも、マウンドにいるときは常にひとりだけどな」  腹の底から唸り出したような威厳のある声音が、聞く者の肝へとずしりと響く。 “史上最高の左腕”と誉れ高い江夏豊を前にすると、近寄りがたいほどの圧を受けるとともに己のちっぽけさをいつも感じさせられる。“超一流”がつくる空間は常に緊張感があり、かつ静謐だ。 「この年になってくると誰に遠慮することもなく、見えを張ることもないから、気はラクだよね」  言葉を慎重に選びながら、江夏はゆっくりと我々を包み込むように話す。自分でも測りかねるその存在の大きさが、ときに組織までをも動かしてしまうことが度々あっただけに、言葉の重みを誰よりも理解している。  江夏は高校を卒業して’66年にドラフト1位で阪神に入団し、純粋に野球と向き合った。入団2年目で25勝し、奪三振401の世界記録を樹立。  不動のエースに上り詰める。江夏が活躍すればするほど、人気球団である阪神内での影響力も強くなり、その一挙手一投足が注目を集めるようになっていった。マスコミはときに江夏にすり寄り、ときに憶測で確執を報じ、江夏の心を惑わせた。

江夏が仕えた9人の監督

 江夏の現役生活は激動の18年間だったと言っていい。阪神-南海-広島-日本ハム-西武、そしてメジャー挑戦と、球史に残る選手がこれほど移籍を繰り返した例は他にない。ただ、その道は野球道を突き詰めた勲章でもある。この経歴にこそ、江夏の信念が凝縮されていると言っても過言ではない。 「9人の監督(藤本定義、後藤次男、村山実、金田正泰、吉田義男、野村克也、古葉竹識、大沢啓二、広岡達朗)の世話になったけど、皆、監督になられるほどの方なので素晴らしい能力の持ち主ばかりだった。監督たちから見たら自分は若造だったんだろうな」  これは今の江夏が率直に感じることなのだろう。その半面、特定の監督だけを変に誇張した形で言及したくないという思惑がありありと伝わってきた。意を決して、幾度となく確執が書き立てられてきた阪神時代の話を聞く。 「阪神時代のお家騒動については……正直、巻き込まれた部分と自分から入り込んだ部分があるよね。かつては監督が選手を殴ることがざらにあったけど、このときの阪神では選手が監督を殴ることまであった。それも2回。どちらとも俺が横におった。別に俺が仕組んだわけではないが……関係していると思われても仕方ないわな」  江夏は困惑した面持ちで、当時の真相を明かし始める。
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江夏が明かした真相とは?
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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