エンタメ

アインシュタイン・稲田&ほんこんは「ぶさいく」をどう武器にしたのか

ほんこんはネタを突き詰めた

 活躍する芸人の中には、そのインパクトをしっかりと武器にする者もいれば、あえて武器にせずネタで勝負してのし上がった芸人もいます。その代表格がほんこん君でしょう。 「吉本ぶさいくランキング」で3年連続1位になり“殿堂入り”したほんこん君は、インパクトのある容姿を持つ芸人の中でも“異彩”を放っているように思います。  漫才コンビ「ホンコン・マカオ」を経て板尾君とのコンビ「130R」になっても、“ぶさいく”を武器に使うことなくネタを作っていました。「見た目ではなく内容で勝負」ということだったのでしょう。  実際によく練られたネタがいくつもありました。

アインシュタイン・稲田を見たときのインパクト

「僕はプロのブス」と自認しているアインシュタインの稲田君と、NSCの授業で初めて出会った時のインパクトは強烈でした。 「すごい(武器を持った)のが来たな…」と思うと同時にこの武器は「諸刃の剣」それも鋭利な剣で「どこまでネタにできるのか?」、「(容姿をネタにした時に)お客さんがどこまで受け入れてくれるんだろうか?」と。  本人にも「容姿いじりは気をつけや」とおそらく伝えたとは思いますが心配の方が大きかったと記憶しています。  稲田君が全幅の信頼を寄せる相方の先輩・河井君がコンビ結成当時は「正直(稲田君を)どこまでいじっていいのかわからないですね……」と悩んでいたことを覚えています。。    私も正直なところ“ボーダーライン”がどこなのかわからなかったので「あくまで稲ちゃん発信で、それに対してどうツッコむかやろな」と当たり前のことしかアドバイスできませんでした。  私が勝手に言っていることなのでニュアンスがどこまで伝わるかわかりませんが河井君のツッコミは切り捨てるだけではない「愛情のあるツッコミ」なので救われているところが大きいと思っています。
次のページ
容姿いじりがダメなら……
1
2
3
4
漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

吉本芸人に学ぶ生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは


記事一覧へ
おすすめ記事