更新日:2021年11月01日 14:36
エンタメ

<純烈物語>2年3か月追い続け、紡いだアルバムとは違うクロニクル<最終回>

「ムード歌謡というジャンルにとどまらず幅広いエンターテインメントで表現していくグループになっていく」

「これからの純烈は、ムード歌謡というジャンルにとどまらず幅広いエンターテインメントで表現していくグループになっていきますよ。だから、そちらの方面の勉強もしておいた方がいいです」  純烈ジャーの製作発表がされるよりも前の段階で、一圭さんの盟友であるスーパー・ササダンゴ・マシン選手からそのようなアドバイスをもらいました。事実、4人は歌にとどまらずテレビドラマ、舞台、そして映画と着実に表現の幅を広げています。  それと同時に、作品を生み出す裏には必ず物語が詰まっている。そこはこちらから自発的に食いつかなければ表に出てこない部分です。  ステージ上の4人も魅力的ですが、私にはその食いつかなければ見えないドラマがキラキラと輝いて映りました。だからこの2年3ヵ月間、夢中で追えたのだと思います。

2019年「2度めの紅白」で完結するはずだった

 本来ならば、純烈のアテテュードを掘り起こし、スキャンダルを乗り越えて2度目の紅白出場を果たしたところまでを追えば、この物語は完結を迎えたはずでした。ところが2020年に入り、コロナという想定外の大波が押し寄せます。  連載どころか純烈そのものが存続の危機を迎える中、それでも前進を停めずにファンとつながろうとする4人のドキュメントを追う必然性が出てきたのです。  またライブ活動ができない間は、純烈周辺の人々を取材できたのも大きかった。レコード会社・日本クラウンのアーティスト担当・新宮崇志さん、山本浩光マネジャー、純烈の“紅白曲”を次々と生み出す・幸耕平先生、焼肉八起のおかみさん・唐澤時子さん……それぞれの立場から見える純烈の実像はとても興味深く、時間が経つのも忘れ話を聞かせていただきました。  対照的に、過密スケジュールの合間を縫って時間帯を問わず(早朝取材もあった)話していただいたメンバーには、限られた中で濃密な物語を語っていただきました。プロレス時代からの知り合いだったリーダーを除く3人とすれば、いきなり現れたどこの馬の骨ともわからぬライターに対し身構える部分があってもおかしくはありません。 「白も黒も含めて純烈さんの物語を長期的に追い、ファンの皆さんに伝えたいと思います」  連載第1回に出てくる2019年5月25日の東京お台場 大江戸温泉物語ライブ。控室で挨拶したさい、私はメンバーにそう言いました。もちろん、これだけでこちらの意図が100%伝わったとは思えなかったのですが、その後のインタビューでははじめからスムーズに進みました。
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いつも会話を楽しんでいた小田井
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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