更新日:2021年11月01日 14:36
エンタメ

<純烈物語>2年3か月追い続け、紡いだアルバムとは違うクロニクル<最終回>

いつも会話を楽しんでいた小田井

 そうしていくうちに、取材時以外の現場でも会話をするようになっていきます。誰よりも純烈以外の話題を振ってくるのが小田井さん。映画撮影時にも周りのスタッフとコミュニケーションを取りまくっていたように、気遣いだけでなく会話を楽しもうという姿勢が伝わってくる方です。  最年長者が一番はしゃぐことでエンターテインメントとなり、一方では全体を視野に入れて判断する。この両刀使いがカッコよく思えました。  話を聞くさい、私は自分からLiLiCoさんのことを振らないというルールを律していました。それは、小田井さんを利用して夫婦のプライバシーをほじくり出すのがヨシと思えなかったからです。  それでも小田井さんは、夫婦としてのスタンスやエピソードを率先して語ってくださいました。そして現在、首の負傷で4年以上にも及ぶ欠場を続け、リハビリと向き合っているプロレスラー・髙山善廣選手との関係を明かすとともに、エールを送っていたことをこの場を借りて伝えさせていただきます。

リーダーを受け継ぐ”回し”ができる後上

 後上さんからは、物事を合理的に考えることの重要性を学びました。こだわりや思い入れは人間にとって必要なものであり、それが力となり得ても、すべてのシチュエーションがそうとは限りません。  大学を中退し、純烈に“就職”した後上さんは、少年期から培ってきた「期待に応える術」を自分にしかない武器として、やるべきことを積み重ねてきた方です。ステージ上では末っ子としていじられキャラを務めていますが、私はそんな後上さんに強さを感じ取りました。  最近、ステージにおけるMCコーナーを見るにつけ、リーダーが言っていた「あいつが僕の証言録、行動記録を持っているんです」の言葉が脳裏で旋回していました。酒井一圭の帝王学を確実に受け継いでいると思われる“回し”こそが、グルーヴ感を生み出す要になっているのだと。  純烈ジャーのストーリー同様、純烈そのものが後上さんの成長物語でもあるのだと思います。そして白川さんは、スターとしてのたたずまいをカジュアルにまとえる方と表すればいいでしょうか。
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プロフェッショナルでありスター・白川との”ドライブ”
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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