更新日:2022年02月03日 16:33
エンタメ

元フジ・吉崎典子アナ。先生になりたかった20代の夢は定年退職後に叶えていきたい

女子アナではなく、女性アナ

――一方で、どんな色の方も「女子アナ」とは呼ばれたくない、と聞きます。 吉崎:そうですね。「私たちは、女子アナではなく、女性アナなんだよね」という話はよくしました。 ――「男子アナ」とは言いませんものね。「女性アナ30歳定年説」というハラスメントそのものといえる表現もあります。 吉崎:ありますねー(笑)。私も「自分はそのころに何をやっていたかな」と考えてみると、朝の大型情報番組『おはよう!ナイスデイ』のMCを任されていて、もう本当に必死でした。いつが30歳だったのかおぼえていないくらい。そんなこともあって、30歳定年説というのはあまり考えたことがないんです。ただ、フリーになることを意識している後輩たちは、ちゃんと考えていたのだろうと思います。 ――35歳、40歳にならないと見えてこないものが女性アナの世界にもあるのでは? 吉崎:あるはずです。女性アナは40歳くらいでどんどん音域が広がり、声にもツヤが出てきます。さらに結婚、出産や子育て、それまでに得た知見や管理職の経験などを積み重ねていけば、コメントにも厚みと信頼感が出てきます。この仕事こそ「継続は力なり」なのだと思います。

毎朝3時に起きる生活

――これまでのアナウンサー生活での喜びは? 吉崎:やはり自分の目で現場を見られたこと。例えば、私はオリンピックに2度行かせていただきました。1988年のソウル五輪と1992年のバルセロナ五輪です。目の前で、カメラマンよりも前の位置で、金メダル獲得の瞬間を見ることが出来ました。まさに歴史の特等席ですよね。それを自分の言葉で伝えられたのですから、これは喜びでした。 ――辛かったことは? 吉崎:早起きです(笑)。私は早朝番組を担当することが多く、早起きは大変でした。たとえば平日朝6時30分からのニュース『FNN World Uplink』のMCを1年間やらせてもらった時のことです。東京とパリとニューヨークとを衛星回線でつなぎっぱなしにして放送する番組でした。 ――起床は何時だったのですか。 吉崎:毎日午前3時に起きていました。だから午後9時前には寝ようとするんですが、これが眠れないものなんですよ。寝不足のまま起き、午前4時前には会社には着かなくてはなりません。本当に疲れてしまい、会社の階段を登れなくなるほどで。 ――では、どうやって上の階へ? 吉崎:這って行きました。(笑)。それでも、カメラに向かうと「おはようございます!」と明るく言う日々でした。
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アナウンス室からの異動に「とうとう来たか」
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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