東京のマンション名にみる「意外な共通項」シャトー、プラザ、フラットetc.
江戸時代に幕府が開かれてから、400年以上もの間、日本の政治経済の中心地として発展し続けてきた東京は、様々な異文化を吸収してきた多様性と、変わらずにあるものとが混在した都市だ。普段、街中で何気なく目にするものからも、そうした傾向を感じることが意外なほど多いことは、現フジテレビジョン社長・金光修氏の著書『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since 1965』からも読み取れる。それは、例えばマンション名にも…。
東京の流行や風俗現象について考察した同書から、一部を抜粋して転載する。
東京の町にマンションなる集合住宅が出現してから三十年以上経った。デビュー当初は麻布や青山や赤坂など、都心の誰もが憧れる一等地に建つ高嶺の花的存在だった。その後は経済成長時代の波にもまれ、投資の対象商品になったり、あるいは節税の道具になったりしながらも不動産神話の崩壊とともに、最近やっと本来の居住用の建物の姿に戻ったようである。その間に東京のマンションは増え続け、必然的に数千以上ものマンションの名称が存在することになった。
マンションの名前には誰が決めたわけでもないだろうが、一定の法則がある。たとえば<番町ハイム>のように「日本語の地名+集合住宅を表すカタカナ」という組み合わせが基本で、古い言葉(地名)と新しい言葉(外国語)の相対する組み合わせでできている特徴を持っている。さらにイメージのよい地名と高級感やゆとりを連想させる外国語の組み合わせであれば、なお結構という感じだ。少なくとも番町鉄骨屋敷とか番町集合住宅のような、日本語だけの名前は付けられない。
地名は所在地の町名か近隣の駅名を使う場合が多いが、聞こえがよければ消滅してしまった昔の地名を使うこともある。その代表的な場所が、山手線南端側の目黒・五反田・大崎・品川の四駅に囲まれる広大な一帯にある。現在の行政区分による町名は東五反田と北品川だが、その東五反田五丁目にあるマンションのほとんどには<池田山>の地名がつけられ、その隣町で清泉女子大学がある東五反田三丁目は<島津山>、さらに東側の北品川六丁目から五丁目、四丁目、さらに山手線をまたいだ三丁目にわたる広いエリアには<御殿山>という地名が冠せられる。この一帯には大型の高級マンションがあるが、実際に<東五反田ハイツ>ではなく<池田山ハイツ>、<インペリアル東五反田>ではなく<インペリアル島津山>、<北品川ヒルズ>ではなく<御殿山ヒルズ>と名付けられている。どのデベロッパーも建築主も、古くからの山の名を地名ブランドとして採用したわけだが、結果的に二つの価値をもたらした。
ひとつめは、東京の地形を思い起こすことの意義である。建築物が林立する現在の東京では、その地形に山の起伏を感じるのはなかなか難しい。しかし昔は下町から、飛鳥山、上野の山、愛宕山、代官山などの独立したたくさんの山が眺められた。山があるから神楽坂、九段坂、三宅坂、道玄坂などの坂もある。大地の端だから複雑に入り組んだ谷がある。四谷、市谷、下谷、鶯谷、富ケ谷などがほうぼうに散らばっている。
東京は内陸から続く広大な武蔵野台地の縁にある。JR京浜東北線の西側に当たる最後の山の部分(武蔵野台地の縁)までが山の手と呼ばれ、山を下った東側の海に続く平地が下町と呼ばれる。この東京の基本的な地形を、長年東京に住んでいてもつい私たちは忘れがちである。個人的には小学校で習った「関東平野」という広く平らな場所という概念が先に立って、台地と平地の凸凹がある東京の地形図を思い描けなかったこともある。このように地形を思い起こす役割を池田山や御殿山のような山の名前のマンションが担っていることもある。
さらにマンションには、古い地名を残すもう一つの意味もある。<御殿山>は家康が桜の名所に別邸御殿を造った山であり、大名行列をはじめ東海道の旅で出る者、送る者がこの山の桜を見ながら別れを惜しんだ場所である。というようなエピソードが、地名の消滅とともに語られなくなるのは寂しい。そんな地名を大事にしようという法律も昭和三十七年に公布されている。その「住居表示に関する法律」の第九条の二の<旧町名等の継承>という項には「市町村は由緒ある町名で変更されたものについて、その継承をはかるため、標識の設置、資料の収集等に努めなければならない。」とあり、結果的にマンションの名前はこの法律の精神を受け継ぐ重要な役割を担っているといえる。そもそも東京は大江戸八百八町<一八二八年文政十一年の調査では一千百七十の町が実際にあった>といわれたほど、たくさんの由緒ある町名があった土地柄である。マンションとともに残る地名も多いのではないか。
マンション名は古い言葉と新しい言葉の組み合わせ
山と谷が多い“東京の地形”に気づく
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『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since 1965』 1960年代以降のさまざまなカルチャーを縦横に語る |
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