スポーツ

完全試合を達成した佐々木朗希「記録とは無縁だと思っていたので、執着はなかった」

小学生の時に上がったマウンドでは「打たれた思い出しかないです」

 まさか、このスタジアムで日本中、いや世界にまで衝撃を与えるようなピッチングを見せることになるとは小学生の時に初めてこのマウンドに上がった佐々木朗希からしてみると想像もできない話だろう。  東日本大震災で「グラウンドを失った子どもたちに夢を」というコンセプトにスタートした「リアスリーグ」に賛同したロッテがバックアップする形で2013年に始まった少年野球大会の第1回がQVCマリンフィールド(現ZOZOマリンスタジアム)で行われ、当時、小学校6年生だった佐々木朗希は千葉の少年野球チームとの親善試合でマウンドに上がっていた。  岩手県の大船渡をバスで出発して、朝に千葉到着。大会では優勝の栄光を勝ち取り、試合後にはサプライズゲストとして当時千葉ロッテマリーンズのエースだった成瀬善久投手が登場して記念撮影を行うという演出もあった。佐々木にとって忘れられない思い出だ。  ただ、ここでのゲームでとりわけ活躍をしたわけではない。「あの日は風も強くて、うまく投げることができなくて打たれた思い出しかないです」と振り返る。

まだ20歳。栄誉ではあるが、通過点に過ぎない

 それが、月日が流れて今、日本中のプロ野球ファンの度肝を抜くできごとをやってのけた。“令和の怪物”と騒がれるようになった高校時代から、自分の心と世間の喧騒がかけ離れて感じる時があった。そしてそれは完全試合を達成した今もある。  土日のデーゲームの時にはふと考えることがある。もしプロ野球選手ではなく、普通の野球少年だった自分がそのまま大学生となっていたら、どうなっていたのか。そして社会人になっていたらどんな仕事をしていたのか。  デーゲームで多くの観客がスタンドで楽しそうに野球観戦をしている姿を見ると、誰にも注目されることのなかった普通だった自分と、今でもその心を残す普通の自分が問いかけてくる。土日に休みがある生活に憧れる時がある。そんな若者が偉業を達成したのだ。 「今回の登板の結果は、次の登板ではもう関係ないことになる。また一から打者を抑えて頑張るだけだと思っています。次からまた結果を求められる。高い結果を求めるのではなくて、自分ができることをやっていきます」  この冷静さがまた背番号「17」の魅力だ。4月10日、ZOZOマリンスタジアムで閃光が走った。日本中が湧く衝撃の閃光だった。しかし、まだ20歳。40歳現役を目指す若者にとって栄誉ではあるが、通過点に過ぎない。浮かれ過ぎず、冷静に。自分の足元をしっかり見つめて、前に進む。  その先にはいったい何が待っているのか。小学6年生だった佐々木朗希にはこの未来を現実として思い描くことができなかったように、20歳のこの男が今後、どのように成長をするのかを予想できる人はいない。 文・写真/千葉ロッテマリーンズ取材班
1
2
千葉魂vol.8 マリーンズ挑戦の日々2021

優勝を目指し、決して諦めない選手たちの素顔

おすすめ記事