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落合博満が選手会を脱退した日——同級生の田尾、中畑が語るFA制度誕生の裏側

中畑が語る「落合博満」

 28会のメンバーであるはずの落合だが、田尾や真弓など他のメンバーが選手会会長の中畑に協力を惜しまない姿を尻目に「お前らがやっている方向性が当初と違うベクトルへ行っている」と言い放ち、ひとりで選手会を脱退した経緯がある。それなのに、FA権が導入されるといの一番に権利を行使したのが落合だったというわけだ。制度確立に尽力した28会の面々には、憤懣たる感情が沸き起こった。  落合といえば、昨年10月に文藝春秋から発売された書籍『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(著:鈴木忠平)がヒットを記録し、再びそのキャリアに注目が集まるようになって久しい。選手としても監督としても実績は折り紙つきで、今も監督人事が騒がれる時期になると次期監督候補として名前がしきりに挙げられる。

取材陣を自宅に招き、リビングで取材に応じてくれた中畑清(撮影/山崎力夫)

 本が売れない時代に落合の本が売れていることを、中畑に告げてみた。 「へえ〜、落合の『嫌われた監督』って本が売れてるの!? 別に監督になったから嫌われたんじゃないからなぁ」  中畑節が炸裂した。田尾も取材時にこう明かした。

誰もがその手腕は認めるが……

「(落合は)途中から協力を惜しんだのに、それで一番最初にFA権を行使するのはスジが違うと思った。中日の監督時代も、規制をかけたのかヒーローインタビューでも選手が通り一辺倒でしか答えない。ファンあってのプロ野球であり、“勝ちゃいいんだろ“という姿勢はダメ」  現役時代の落合の技術、さらには指揮官としての手腕は誰もが認めている。しかし、人望という点でいうと、いつも疑問符がつく。  落合にしても、選手会脱退は考えがあってのことだろう。しかし、だ。どんな考えがあろうとも、自らが見て見ぬ振りした中畑たちが必死になって選手側の権利を勝ち取ったFA権を、いの一番に行使したらどうなるかとは思わなかったのだろうか。おそらく、ハレーションが起こることも想定したうえでそれはそれとして割り切って行使したに違いない。目的達成のためなら合理的かつ迅速にやるのが落合の信条だろうが……あまりにドライではないか。  自分の腕と技術一本で食っていくプロ野球という魑魅魍魎の世界は、どこもかしこも敵だらけ。己を律しなければ簡単に飲み込まれる。しかし、余計な敵まで作る必要はないはずだ。プロ野球界の世代の繋がりを断ち切ってまで孤高のごとく生き、球史に輝く成績を残した落合博満。名声、財産ともに手に入れ、家族にも恵まれている。これ以上何も必要ないのだろうけど、同じ歳の仲間がいないことを、落合は今どのように思っているのか……。 取材・文/松永多佳倫
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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