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近代の宿痾、「陰謀論」の真の害悪とは?<著述家・菅野完氏>

陰謀論の入り口を「知識の無さ」に求めるのは無理がある

 そもそも古谷氏の総括にはいささかの自己矛盾が含まれている。氏は前掲の論考で、氏がロシアのプーチン大統領を批判する論考を開示したところ、各所から「プーチンさんを悪く言わないで」とするメールが届き、そのほとんどに、元駐ウクライナ日本大使の馬渕睦夫が登場するYouTube動画が引用されるというエピソードを紹介している。動画を確認したところ、なるほど確かにその内容は荒唐無稽であり、「ディープステート」「ユダヤロビー」など使い古された〝ネタ〟を散りばめた陳腐な陰謀論でしかない。だが少し待ってほしい。馬渕氏は曲がりなりにも、元外交官である。しかもイスラエル・タイ・ウクライナなど日本の外交にとって重要な諸外国に駐在した経験を持つ第一級の外交官だった。本人の経歴も、京大法学部在学中に外交官試験に合格しその後ケンブリッジ大学経済学部に留学したという折り紙つき。決して、古谷氏の言う「世界の理解に必要な最低限度の知識が無い」「ある程度の読書習慣や情報リテラシーが少ないか絶無」であるような存在ではない。  江川氏のコメントも、あのコメントが氏によるものであることを踏まえるといささか残念と言わざるを得ないだろう。オウム真理教事件に関する知見の豊富さにおいて、江川氏の右に出るものはいないはずだ。林郁夫や早川紀代秀など、難関大学を卒業し医師免許をはじめとする難関国家資格を取得したいわば〝エリート〟たちが、なぜか麻原彰晃に絡め取られ、あの珍妙な教義を信じ込み果てにはテロ行為に手を染めたというオウム真理教事件の不思議さについて、江川氏こそが当代随一の知見を誇るはずである。江川氏は「事実と科学、思考の軽視の風潮」とは対極にあるような人々が、珍妙な理屈に絡め取られていく不思議さを誰よりも知っているはずではないか。  相当な学識や学歴を誇る人々が陰謀論を唱えたり信じ込んでしまう事例は枚挙にいとまがない。古谷氏が事例として挙げる馬渕睦夫氏もそうだろうし、「神真都Q」のメンバーにも、連邦議会襲撃事件に関与した本家本元アメリカの「Qアノン」にも高学歴者も頭脳労働者も多数存在している。陰謀論の入り口を「知識のなさ」や「事実と科学、思考の軽視の風潮」に求めるのは無理があるのだ。

近代社会の近縁に常に存在していた陰謀論

 まず事実を直視しよう。陰謀論は近代社会の近縁に常に存在していた。そして社会が不安定になると必ず大きな勢力を持つようになる。  最も顕著な事例が、近代的ユダヤ陰謀論の嚆矢「シオンの議定書」だろう。この偽書は、帝政ロシアの末期にロシアで作成された。どうやら民主化要求を弾圧しようとする帝政ロシア政府側の人物が、弾圧の材料としてでっち上げたようである。しかしその後、ロシア革命がおこり、世界に衝撃を与えると、革命への拒否反応とともに世界中に流布されることとなる。アメリカではなんとあのヘンリー・フォードがこれに惚れ込み、彼が私財を投じてこの偽書を英訳させたところ、50万部を超えるベストセラーになったという。そしてドイツではヒトラーがこれに魅了され、のちのホロコーストの遠因の一つとなった。日本も例外ではなく、シベリア出兵帰りの陸軍将校がこの偽書を和訳のうえ出版し、陸軍のパンフレットとして全国の中学校に配布される事態に至っている。ロシアで生まれた陰謀論が、日米独をはじめとする世界各国で流行した背景には、当時の世界各国が例外なく直面していた、第一次大戦後の社会不安があったのだ。 「シオンの議定書」の事例は他にもさまざまな示唆を与えてくれる。なにより見逃せないのは、この陰謀論が、ユダヤ人差別を利用し民主化運動や社会主義運動を弾圧しようとする帝政ロシア政府側の「特殊な意図」を背景に生まれたという点だ。それを受容した各国も、同じく、労働運動や民主化運動を弾圧するためにこの陰謀論を利用している。「シオンの議定書」をわざわざ全国の中学に配布した当時の日本の陸軍には「社会主義運動や労働運動はユダヤ人の陰謀だ」と示唆することで、当時の旧制中学でも盛んであったデモクラシー運動を牽制する意図があったのだ。  これは昨今の〝陰謀論ブーム〟でも同じである。アメリカで生まれた「Qアノン陰謀論」「ディープステート陰謀論」が、ドナルド・トランプの選挙運動に最大限利用された(いる)ことは記憶に新しい。今回、警視庁公安部の捜査の対象となった「神真都Q」の場合は、幹部連中にマルチ商法や金融商品詐欺グループとのつながりが示唆されているし、代表格のうちの一人は、なんとかして売れようともがき続けてきた売れない俳優であることが判明している。

陰謀論を利用する連中

 こうして腑分けしてみると、陰謀論の背景には、政治的であったり経済的であったりあるいは単純に自己顕示欲求だったりと、なんらかの「特殊な意図」が必ず潜んでいることがわかるだろう。そしてその特殊な意図を有する連中が、騙されやすい人を見つけては、次々と取り込んでいく。社会不安が増大するといつの時代も陰謀論が流行してしまうのは、社会不安が、普段は騙されないような人にも陰謀論につけこまれる間隙を生むからに他ならない。  陰謀論の害悪とは、その主張内容の非科学さにあるのではない。陰謀論を利用し「特殊な意図」を達成しようとする連中の〝手口〟こそが問題なのだ。社会として直視すべきは、「騙される側」ではなく「騙す側」である。そうである以上、社会として必要なのは、陰謀論を生み・信じる人を、「リテラシーのない、科学を尊重しない愚者」と切り捨てることではなく、陰謀論を利用し邪な意図を完遂しようとする連中への監視と注意喚起であるはずだ。 <文/菅野完 初出:月刊日本5月号
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月刊日本2022年5月号

【特集1】「ウクライナ後」の世界
【特集2】「政治とカネ」にケジメをつけろ!
【突破者 宮崎学さんを偲ぶ】

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