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六本木ホストの経験も活かして通販社長に「過去の苦労が血肉になっている」

六本木のホストクラブでは指名数No.1を獲得

 しかし、ホストの世界はそう甘くはない。  歌舞伎町のホストでは、先輩の盛り立て役として貢献はするものの、肝心の指名が入らず、売り上げは増えていかなかった。  しばらく続けたが「歌舞伎町では芽が出ない」と悟った吉田さんは、六本木に姉妹店がオープンする情報を聞きつけるや、オープニングスタッフとして移籍。 「22歳で上京してきて、新宿や渋谷、銀座、六本木などいろんな街で飲んでいましたが、自分の性格的にも六本木の方が合う。そう思って六本木で再び勝負しようと思ったんですよ」  序列順で言えば3番目のメンバーになった吉田さんは、持ち前の明るさとトーク力で人気を博し、指名数No.1を獲得するようになる。  六本木のホスト時代を吉田さんはこう振り返った。 「最初、夜の世界は右も左もわからない状態でした。そんななかでも3年間ホストを続けたことで、すっかり『東京の夜の世界』に染まったんです。六本木は男性のお客さんが多く、ITやメーカーの社長がキャバクラ帰りに立ち寄ってくれたりしていました。日々、目の前で起こる非現実な出来事を体感しながら、27歳までホストは続けましたね」

ホストを続けた先には将来が見えなかった

吉田忠史 転機となったのは、周囲の仲間の進退を知ったとき。多くの知人が独立後もホストクラブ経営などの水商売関係だった。この道を続けていても選択肢が限られてしまう。  また、親に胸を張って自分がやり続けたいと言える仕事ではないと、薄々と感じるようになった吉田さん。  自身も長くホスト生活をやってきた代償として不眠に悩まされていたり、お酒の飲み過ぎで肝臓を悪くしていたりと、確実に体を蝕んでいた。 「いよいよ潮時かな」  そう考えた吉田さんは“昼職”を求め、あてを探すようになる。  しばらくして、面識のあった社長に「将来、社長になりたいならうちに来ないか」とスカウトされることに。  ホストから一転、社長秘書として働くことになったのだ。
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「一発当てる」ためにさまざまなビジネスに挑戦
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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