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「過労死ライン超え」吹奏楽部の歪んだ音楽性。完璧を求めることの是非とは

一部で“ブラック部活”と呼ばれてきた吹奏楽部

吹奏楽部

写真はイメージです(以下同)

 2018年12月、千葉県の市立柏高校の吹奏楽部に所属する当時2年の男子生徒が自殺しました。今年3月末に第三者委員会が公表した調査報告書では、直接的な原因は不明としながら、長時間に渡る部活動の練習時間が要因の一つに挙げられました。『47NEWS』(2022年6月6日配信)によると、報告書には「授業時間と合わせると過労死ラインをはるかに超える」との記載があったとのこと。  2019年には、兵庫県の宝塚市の中学校で2年生の女子生徒が顧問から指導を受けたあと、校舎4階から飛び降りて重傷を負う事故も起きました。  一部で“ブラック部活”と呼ばれてきたブラスバンド強豪校の活動実態が、再びクローズアップされる事態となっています。  筆者は、かねてより『女子SPA!』『日刊SPA!』にて中高生のブラスバンドブームについて疑問を呈してきました。過酷を極める活動はもとより、生徒たちの鳴らす音そのものに違和感を抱いてきたからです。  豊かな音量、確かなピッチとタイム。一糸乱れぬ行進に振り付け、そして審査員と客席に向けて笑顔も欠かさない。その高い水準についてこられる生徒だけが生き残る世界。さながら、高校吹奏楽のプロ集団といった趣です。おかしな表現だけど。  しかし、一見すると傷のないパフォーマンスだからこそ、間違いのなさゆえに人間性を著しく欠いているのではないか。そして、それは生徒が自発的に求めたというよりも、指導する教員の描く“良き世界”を必死になぞっているだけなのではないか。  自らの存在を無機質な歯車に落とし込むべく、すすんで異常な練習量を課すサイクルに構造的な絶望感が漂うのです。

強豪校のハードな練習が賛美される風潮

 教諭の厳しい指導に耐え、仲間同士で競い合い、最後には助け合って栄光を勝ち取る物語は、確かに美しい。強豪校ほどこのカタルシスを鮮やかに体現してくれるので、学生ブラスバンドのブランド化に拍車をかけている一面もあるでしょう。  けれども、その種のトランス状態は本当に音楽の本筋に関わる努力と好奇心から生まれるものなのでしょうか? まだ10代前半の子供たちの1日を、学校という閉鎖空間の中だけで完結させてしまってもいいのでしょうか?  そもそもそこまでいびつなタイムスケジュールを組まなければ、素晴らしいパフォーマンスは実現できないものなのでしょうか?  クラシックの作曲家、シューマンの『若い音楽家への助言』に、スティーブン・イッサーリス(イギリスのチェロ奏者)が補足と解説を加えた『音楽に本気なきみへ イッサーリスと読むシューマンの助言』(音楽之友社刊 訳・板倉克子)から、こんな一節を紹介しましょう。 <1日の練習を終え、疲れを感じたら、  それ以上、頑張るべからず。  喜びと活力が湧いてこないまま練習するより、  休息が大事である。>    <音楽探求の厳しさは、  詩を読んで和らげたまえ。  散歩をたくさんすべし。>  当たり前ですが、過労死ラインを超えてまで習得すべき音楽など、この世のどこにもないということですね。
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学校という“閉鎖空間”で生まれる歪み
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