「過労死ライン超え」吹奏楽部の歪んだ音楽性。完璧を求めることの是非とは
芸術の持つ厳しさとは…
さて、ここまで筆者が書いてきたことに対して、不快に思う人もいるかもしれません。“厳しさに耐えて物事を成し遂げる情熱を否定するのはけしからん”とか、“みんながみんなツラい思いをしているわけではないのだから言い過ぎだろう”とか。
もちろん、筆者もそうした考え方をすべて拒絶するものではありません。けれども、それはたかだか学校の部活動で、必ず経験しなければならないものなのでしょうか?
そうして無抵抗なまま芸が絶対化、ないし正当化されたスモールサークルでは、一体何が失われるのでしょうか?
アメリカのロックミュージシャン、ベックが子供時代から変わらないモットーを明かしていました。
<僕は子供の頃いつも間違いを探していた トーク番組を見れば出演者が失言しないか いすが倒れないかとかね
それはまるで宇宙のウインクだ 割れ目があってその割れ目が開こうとしていたのさ>
(『ベック:パーマネント・ミューテーションズ』U-NEXTで配信中)
つまり、ミスをおかしたり目の当たりにしたりすることによって、人は初めて真剣に物を考え、新しい視点を得ることができる、ということなのですね。本来、芸術の持つ厳しさとは、予期せぬ出来事や自らを超えた圧倒的な存在に対して、その都度自らと照らし合わせて認識を更新し続けていくことにあるはずです。
不幸な健気さが醸し出す「不気味さ」
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
【関連キーワードから記事を探す】
この記者は、他にもこんな記事を書いています




