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沖縄返還50周年でも残り続けるウチナーンチュとナイチャーの“消えない壁”

本土復帰50周年の節目に……

沖縄県営平和記念公園から望む海岸線

「まさかやー」「あいやー」「だからよー」と(沖縄方言)が飛び交う、現在放映中のNHK朝ドラ『ちむどんどん』。沖縄が日本に返還された‘72年前後の沖縄のヤンバル(沖縄北部)を舞台に四兄妹が繰り広げる群像劇だ。  本土復帰50周年という節目の年だからこそ制作されたこのドラマ。’01年に放映された『ちゅらさん』のように日本中でブームになるかと思いきや、本土はおろか沖縄でもまったく騒がれてはいない。しかし沖縄では今年3月ごろから復帰50周年記念番組が続々と制作され、今年いっぱいは復帰記念ムードが続く気配だ。

「ウチナーンチュ」と「ナイチャー」

 あまり聞きなれない言葉かもしれないが、沖縄県内では沖縄出身者を「ウチナーンチュ」、県外出身者を「ナイチャー」と呼ぶ。沖縄では本土のことを「内地」と言い、内地で生まれた人ということでナイチャーという意味だ。  しかし沖縄に住んでいると、ナイチャーという言葉に「自分たちとは別物である」といった排他的なニュアンスが込められていることを感じざるを得ない。特に50代以上の「ウチナーンチュ」にとって「ナイチャー」という言葉の意味は他の世代とは確実に異なる。筆者は沖縄に移住して13年経つが、「ナイチャーかね?」と言われるたびに少なからず疎外感を覚える。いわば「ナイチャー」は完全にヨソ者扱いなのだ(ヨソ者であるのは事実だから、当然といえば当然だが……)。  私自身、岐阜の山奥で生まれたため、村出身者以外の人間を邪険にする排他的な感覚は十分にわかるつもりでいる。しかし、沖縄は“それ”とはまた微妙に違うのだ。
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今も残る戦争の影響
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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