ニュース

沖縄返還50周年でも残り続けるウチナーンチュとナイチャーの“消えない壁”

「若い世代はナイチャーという言葉を使わない」

 一方、そうしたウチナーンチュとナイチャーの“見えざる壁”にも、徐々に変化が生じ始めているという。 「20代の子たちは『ナイチャー』という言葉を使っていません。今はLCCの安い航空料金で簡単に内地に行ける時代。SNSの普及も、沖縄と内地の距離を縮めています。若者世代には『ウチナーンチュ』と『ナイチャー』という隔たりの意識は、ほとんどないのでは」  そう語るのは、沖縄文化に精通し、アンソロジー本『沖縄。人、海、多面体のストーリー』(集英社文庫刊)の編者でもある森本浩平氏。本土復帰から50年の歳月を経て、徐々にではあるが“見えざる壁”は低くなりつつあるようだ。

森本浩平氏。13年前、ジュンク堂那覇店の立ち上げに際し沖縄へ移住。現在もジュンク堂那覇店の店長を務め、新刊の著者トークショーをはじめ、沖縄在住の学者や知識人を呼んだイベントをこれまでに1000以上手がける

「私も県外出身で移住者のひとりですが、今も沖縄に“住む”のではなく、“住まわせてもらっている”と思っています。だからこそ、『ナイチャーの自分が沖縄に対してできることは何か』と常に考え続けています。沖縄をテーマに編纂したアンソロジーもそのひとつ。私自身、本を通じてウチナーンチュとナイチャーとの架け橋ができればと思っています」(森本氏)  ウチナーンチュとナイチャー。生まれた地域は違えど、両者ともにれっきとした日本人である。終戦から76年、本土復帰から50年という歳月はかなりの年数に思えるが、まだまだ当時起きた禍根を知る人が多く存命しているのも事実。ぬぐいようのない排他的な感情が潜在的に残り、受け入れられないという気持ちも理解できる。それでも、共存していくためには何が必要なのか。、己の自身に問いかけて森本氏のようにしっかり答えを導き出していくことが一番の近道ではないだろうか――。 取材・文/松永多佳倫
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

1
2
3
おすすめ記事
ハッシュタグ