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重度のアルコール依存症から抜け出したラッパー。酒を1日4L飲んで失った「仕事と信用」

断酒して「優しくなった」と言われるように

USUさん

断酒を始めて1年半以上経ったUSUさんは、周りから「優しくなったと言われるようになった」と語った

――アルコール依存に陥り、身体が悲鳴を上げたのをきっかけに治療へ取り組み続けている今。ここまでを振り返ってみて、長かったですか。 USU:長かったと思います。ただ、定期的に「断酒会」というアルコール依存症に悩む人たちの自助グループへ参加していて、そこでの話を聞くとまだまだだなと思うんですよ。年代も性別もさまざまな人たちがたがいの近況などを報告するんですが、数十年にわたって治療している方もいるんです。なかには、30年間も断酒していたのに「飲んでしまった」と打ち明ける方もいて、どれほど時間が経っても、飲酒欲求は消えないんだと感じています。 ――今なお、離脱症状に苦しむときもあるかと思いますが、治療をはじめてから気持ちの面で変化したと思う部分はありますか。 USU:他人の気持ちが分かるようになったのかなと思います。周りからもよく「優しくなった」と言われるんですよ。結局、人って支えてもらっているわけじゃないですか。1人では何もできないし、現在の妻や両親、仲間がいなければ、今も毎日のようにお酒を浴びるほど飲んでいたと思うんです。また、後悔はあるんですけど、アルコール依存の経験があってよかったとも考えているんですよ。お酒に頼っていた時期は「何で俺のことを分かってくれないんだ」とひたすら孤独を味わっていたけど、今は、当時の経験をプラスに変えて行かなければと思っています。

断酒に終わりはない。認めて、誰かに打ち明けてほしい

――音楽活動では、引退からの復帰作『Too Late』(2021年1月リリース)が転機を象徴していたのかと思います。「もう戻れないさ 夢半 でも」「蝕むアルコール 飲む1人で嗚咽」「また羽ばたきてぇ」といったフレーズからは、アルコール依存に陥っていた当時の様子やUSUさんの決意を感じられますが、この曲にはどんな思いを込めたのでしょうか。 USU:制作していた当時はすでに治療をはじめていましたけど、自分の中では「復帰していいのかな」と迷いもあったんですよ。でも、やっぱり音楽の道へ戻ろうと決めて。そこで、復帰したときに「今まで何をしていたの?」と聴かれるのが嫌だったので、経験や思いを感じたままに歌詞にしていきました。治療で通っている「河渡病院」の名前を出したのもその理由からですし、自分の歩みを示したかったのが一番でしたね。 ――現在も治療は続いていると思いますが、最後に、アルコール依存症の“克服”へ取り組む一人として、今「ひょっとしたら自分も…」と不安を抱える人たちへメッセージをお願いします。 USU:早いうちに認めること、そして誰かに話すことが大事です。治療はその先でいいと思うんですよ。わずかでも、心の中で「アルコール依存症かもしれない」と思うなら疑ってみるべきだし、実際に違うなら最高じゃないですか。みなさんの周りにも信頼できる家族や仲間がいると思いますが、全部を受け止めてくれる人に打ち明けて、すすめられたら病院へ行くのもいいと思います。 取材・文/カネコシュウヘイ 【USU プロフィール】 新潟のヒップホップグループ・HIGH de CREWのメンバーとして音楽活動を開始し、日本最大のヒップホップの祭典「B BOY PARK」への出演をきっかけに地元・新潟から全国へ活動の幅を広げていく。グループの活動休止後、2007年7月の1stソロアルバム『247-U N’I To You-』リリースなど、ソロ活動を本格的にスタート。MCバトルでも数々の功績を残し、2022年1月には7thアルバム『HALT』をリリース。 ツイッター:@USU_aka_SQUEZ
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