更新日:2022年07月01日 14:16
スポーツ

24歳でステージ4の肝臓がんを患った格闘家。転移と再発を繰り返して“気づいたこと”

誰も希望を持たせてくれないなか、出会った「光」

高須将大前を向くために必要だったのは、目の前の相手に集中すること、そして「人と接すること」。一歩踏み出してみないと、気づかなかったことでもある。 「練習中は、病気を忘れることができました。『もう一度戦っている姿を見たい』という言葉が、すごく嬉しかったですね。でも、帰りに1人で車を運転していると、不意に思い出して悲しくなったり…とか、ありましたけどね」 一方、家族の奔走により、セカンド・オピニオンで順天堂大学医学部附属病院に縁が繋がる。そこでステージ4だと聞かされた。 「それまでも、そこでも、いろいろな先生に会ったんですけど、誰も希望が持てるようなことを言ってくれなくて……。母が自分にバレないように泣いているのも辛かった」という高須さんは、同大学で、主治医となる永松洋明氏と出会う。「がんになったのは運が悪かったですけど、永松先生に会えたことに関しては、運がいいと思います」 もちろん永松先生も、病気の状態など、事実は事実として口にする。 「でも、治療を始める前に『一緒に頑張っていきましょう』と言ってくれたのは、先生が初めてでした。ささいな一言かもしれないけど、自分にとっては大きかった。この先生を信頼して、頑張ろうと思えました」 ひとの一言が、姿勢が、自分にとっての光となることを実感した出会いだった。

闘病中だからこそ、大切な“現実逃避”  山下弘子さんから学んだ背中

高須将大とはいえ、「何故自分が」と幾度も思った。同時期にプロデビューした人たちはどんどん活躍していく。“理不尽”さに腹が立ちながらも、当時、高須さんはがんを公表していなかった。「腫れ物に触れるような、変に気を遣われるのはイヤだった」という。 その頃、偶然アフラックのCMで山下弘子さんのことを知った。1992年10月生まれで、高須さんより1歳上。19歳の時に肝臓がんが見つかり、手術直後の再発と肺への転移。自分との共通項がいくつもあった。それから、山下さんのブログやSNSを見るようになった。 「明るく前向きな姿に、勇気をもらいました。山下さんから学んだのは、『今の状況を受け入れて、自分のやりたいことをやっていく』ということ。そして、自分も隠さずにSNSで発信するようになりました」 SNSでは、本当にたくさんの人が病気と闘っていることに気付かされ、交流も生まれるなか、「せめてあと1回、絶対試合に出る」という目標を定めた。自分の生き方を考えるターニングポイントだった、と高須さんは言う。 「病気と向き合うのも大事ですけど、病気のことばかり考えていたら、落ち込んでしまうので…いい意味で、“現実逃避”も大事かなと。目標を決めたら、前向きになれました。格闘技があってよかった」
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闘病中に「やりたいことをやる」から、意味がある
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大阪府出身。大学卒業後、会社員を経てライターに。エンタメ系での著名人インタビューをメインに、企業/人物の取材記事も執筆。トレンドや話題の“裏側”が気になる。『withnews』で“ネットのよこみち”執筆中。Twitter:@Yoshikawa_Miho_

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