更新日:2022年07月01日 14:16
スポーツ

24歳でステージ4の肝臓がんを患った格闘家。転移と再発を繰り返して“気づいたこと”

闘病中に「やりたいことをやる」から、意味がある

高須将大2017年11月から化学療法を始め、2018年3月まで入退院の繰り返し。4月からは服用する抗がん剤での治療を続ける傍ら、トレーニングに打ち込んだ。永松先生も親身に応援してくれた。目標を作ったことが高須さんを奮い立たせ、再発して約1年後の2018年8月、復帰戦。ギリギリの戦いだったが、勝利した。 「副作用で、手足症候群といって、手と足の裏の皮膚が痛くなったり、固くなったりすることもあったんですけど、テーピングしてごまかしつつ…。でもスポーツはやっていいと言われていたので、試合にも出ちゃった(笑)」 いたずらっぽく笑う高須さんに、勝つ自信はあったのか尋ねると、「ありました」と即答する。「試合に出て負けました、じゃあ、何の説得力にもならない。勝ってこそ伝わるものがあると思った」という言葉からは、復帰戦にかける思いが、自らの勝利のためだけではなかったことをうかがわせる。 「治してからやりたいことをやるっていうのは、当たり前というか、普通だと思ったんです。闘病中に自分のやりたいことをやることで、何かメッセージになるんじゃないかなと」

「がんにならなかったら、格闘技は続けていなかった」

高須将大

2度の開腹手術を行った跡。「体がまだ絞れていないので恥ずかしい(笑)」

山下弘子さんの存在で、ひとは、ひとによって前を向かせてもらえることを、改めて体感した。治療と練習を両立させ、がん細胞をすべて取った。そして2019年8月13日 、初のZST本戦で、20秒 TKO勝ち。本戦出場という目標を達成し、いい勝ち方ができたと手応えを感じたのもつかの間、肺と肝臓に再々発した。 「振り出しに戻された感じがした」けど、「死にたくはない」。ショックがないはずはないが、最初に再発した時とは、メンタルが180度違っていた。「今度はSNSで応援してくれる人もたくさんいて、素直に頑張ろうと思えました」 手術と抗がん剤治療をすべて終え、経過観察中の今も「もしがんにならなかったら、どう過ごしていただろう」と思うことはある。ただ、同時に「ならなかったら、格闘技を続けていなかったかもしれない」とも。 「トレーニングって、毎日毎日地味で同じことの繰り返しですから(笑)。病気になって、格闘技を強制的に取り上げられたことで、自分の人生になくてはならないものを再確認できました。練習も、それまでは“なあなあ”で、自分で成長しようとは思っていなかったんですよね。限られた時間を意識するようになって、初めて成長できたんだと思うんです」 また、試合とは別の角度で力になれたらと、2年前ほど前から小児がん・難病の子供と家族の施設「チャイルド・ケモ・ハウス 」に、パンツスポンサー代の半分を寄付する活動を行っている。さらに今年7月には、秋葉原にパーソナルスタジオもオープンさせた。成長していく喜び、体が変わっていく楽しさを共有したいという思いからだ。
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大阪府出身。大学卒業後、会社員を経てライターに。エンタメ系での著名人インタビューをメインに、企業/人物の取材記事も執筆。トレンドや話題の“裏側”が気になる。『withnews』で“ネットのよこみち”執筆中。Twitter:@Yoshikawa_Miho_

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