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ミャンマーで拘束された26歳日本人取材者は私たちの誇り/相澤冬樹

ミャンマーの人権弾圧を伝えるために現地へ

6月10日に会った時の久保田徹さん、斎木陽平さん、筆者(撮影・赤木雅子さん)

6月10日に会った時の久保田徹さん、斎木陽平さん、筆者(撮影・赤木雅子さん)

 久保田さんと最近会ったのは今年6月10日のこと。彼が暮らす東京・高円寺にある沖縄料理店で赤木雅子さんと一緒に会食した。彼はそこで「友達を呼んでいいですか?」と言って友人を招いた。斎木陽平さん(30歳)。「すべての子どもに1000万」という子育て支援策を柱にして参院選の東京選挙区に立候補したから、ご存じの方もいるかもしれない。去年の衆院選の時も出馬を模索し、その選挙に向けての動画制作を通して久保田さんと知り合った。年が近いこと、大学が同じこともあって意気投合したようだ。  斎木さんは同性愛者であることを公表している。「2丁目に行きましょう!」と誘われて、私たちはLGBTの人々の街として知られる新宿2丁目に出かけた。そこに久保田さんのマスコミ関係の友人たちも集まり、深夜3時過ぎまで騒いだ。  その時、久保田さんは、ミャンマーに向かう準備を進めていると話していた。実はもっと早い時期に渡航しようかとも考えたが、斎木さんの選挙戦を取材するため参院選が終わるまで延期したのだという。
斎木陽平さんの街頭演説を取材する久保田徹さん(撮影・赤木雅子さん)

斎木陽平さんの街頭演説を取材する久保田徹さん(撮影・赤木雅子さん)

 ミャンマーは去年2月の国軍によるクーデター以降、極めて深刻な人権弾圧が続いている。危険と隣り合わせだが、現地の人が声を上げられない分、久保田さんのような外国の取材者が入国して実態を伝える意義は大きい。そして彼はミャンマーでの取材歴が8年になるから、地元に知り合いも多く、彼の国の状況はよくわかっている。私はさほど心配もせず「帰ってきたらまた2丁目に来ような」と語り合って別れた。  それから1か月後、参院選が終わってまもなく、久保田さんは成田空港を飛び立ちミャンマーに向かった。23日には冒頭に紹介したツイートを投稿している。27日、赤木雅子さんが「今日裁判で~す。行ってきまーす」と久保田さんにLINEを送ると、「そうだったんですね。ミャンマーより応援しております」と返事が来た。そして3日後の7月30日、日本時間午後6時ごろ、デモを取材していて警察に拘束された。

危険を冒さなければ私たちは前進しない

取材中の久保田徹さん(撮影・赤木雅子さん)

取材中の久保田徹さん(撮影・赤木雅子さん)

 紛争地での拘束というと18年前、2004年にイラクで拘束された3人の日本人のことを思い出す。当時、日本では「危険地帯に自ら行ったのだから」という自己責任論が持ち上がった。だが海外での論調は違う。イラク戦争を始めたアメリカ・ブッシュ政権のパウエル国務長官は、TBS「報道特集」の金平茂紀キャスターの取材にこう語った。 「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない。よりよい目的のため自ら危険を冒した日本人がいたことを私はうれしく思う。彼らや、危険を承知でイラクに派遣された自衛官がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」  久保田さんは、ミャンマーの人々の窮状を日本や世界に伝えるために向かった。真実を報じるためミャンマーに渡った彼に私は感謝するし、日本の誇りだと思う。皆さんにも誇りに思ってほしい。  記者は真実に迫るため、ありとあらゆる手を尽くす。時には危険を承知で足を踏み入れる。もちろん安全策を講じるが、それでも危機に陥ってしまうことはある。その時、政府は救出に全力を尽くしてほしいし、人々は共感を寄せてほしいと願う。人は誰しも大なり小なり他人に迷惑をかけて生きているものだから。
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久保田さんの早期解放を求める署名
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