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元地下アイドルの新たな夢「自分がステージに立たない」決断をするまで

「音楽をつくる側」でいたいと気づいた

ワンマンライブ

「田中らいら」の名前でワンマンライブも実現

 上京後にアイドル活動を再開。1年毎にライブの動員数やCDの売上などの目標を決めて、それをクリアできるように邁進していた。100人規模のワンマンライブも実現。しかし、徐々に違和感を覚えるようになったという。 「当時から作詞・作曲をしていたのですが、アイドルの“ライブで盛り上がりそうな曲”とか“ファンが好きそうな曲”を自然とつくろうとする自分にふと気づいて。あれ? って。アイドル活動はとても楽しかったのですが……」  果たして、違和感の正体はなんなのか。  ちょうどその頃、コンセプトカフェでアルバイトをしていたが、そこで本格的に楽曲クリエイターに転向しようと思うきっかけがあったと話す。 「毎日通ってくれるお客さんもいて、そこそこお金も稼げるようになって。アイドルとしては、もう満足してしまっていました。店のテーマソングをつくって卒業しよう(辞めよう)というときに、当初はカバーの予定だったのですが、『新しい曲をイチからつくりましょうか?』と提案したらすごい喜んでもらえて。それで、確信したんです。音楽に対して、私は演者でいるよりも、“つくる側”でいたいんだって」  チャンライさんは、自分がステージに立つことよりも、より深く「音楽」と向き合う道を選んだ。 「アイドルを続けたい気持ちがまったくなかったといえば嘘になりますが、それでは中途半端になる気がして。楽曲制作1本でやってみようと決意しました」

「アイドルの経験が活きている」

楽曲制作中

楽曲制作中のチャンライさん

 とはいえ、アイドルとして培ってきた経験が活きている。 「実際、アイドルユニットからの依頼が多くて。自分がアイドルだったので相手に寄り添えるというか。現場も知っているし、どんな曲にニーズがあるのかたくさん勉強してきたので。嬉しかったのは、応援してくれていたファンの方々が離れなかったこと。私のファンではあるのですが、それ以前に“私の楽曲のファン”でもあった。だから、私が提供したほかのアイドルやアーティストの楽曲まで愛してくれた。これが自信につながりましたね」  フリーランスで活動していたところに音楽制作プロダクション「合同会社VESSEL LIFE」から声がかかり、現在は社員として充実した日々を過ごしている。楽曲提供だけではなく、YouTubeやTikTokのオープニング曲、動画制作まで、仕事の幅や可能性が広がりつつあるという。 「当然、最初は知名度のない私の仕事を理解してもらうのに時間がかかりました。いろいろなジャンルの方とお仕事をしているうちにコネクションも増えてきて。私たちがつくったアニメーションをみて音楽プロデューサーのMasa Ashさん(※)が『ちょうど制作チームを探していたんだ』と声をかけてくれたんです。無事にコンペが通って、2曲がハリウッドでも流れました」 (※)エミネムやスヌープ・ドッグ、50セントなどの世界的なHIPHOPアーティストのアルバムプロデュースに参加したロサンゼルス在住の日本人音楽プロデューサー
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元アイドルの道標になりたい
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ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720

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