エンタメ

10年1万本のうち「満足いくのは十数本」。世界的オカリナ奏者68歳が語る、妥協しない考え方

工房の閉鎖からデビューまでの奮起

――10年間も思い通りの笛が作れない状況が続き、心が折れてしまうことはなかったでしょうか。 宗次郎:私は3年間の修行を経て独立したわけですが、その理由は先生が工房を閉じただったんですね。先生の工房閉鎖に伴って、兄弟子の中で音楽とは別の道に進んだ人もいました。しかし、私はちょっと事情が違いまして。  というのも修業時代の3年間、少しも納得のいくオカリナが作れなかったんです。それも高い目標の一本ではなく、人前に出して演奏できると思えるようなレベルが作れなかった。そうなるともう、「ここでやめたら、いままでの3年間はなんだったのか」と思えてしまいまして。自分1人でも、納得できるまではやってやるぞと奮起したわけです。 ――そもそも思い通りの笛が作れないから続けていたことだったということですね。 宗次郎:しつこいようですが、オカリナは繊細な楽器です。唇を当てる付近は特にそうですが、土の厚みがコンマ以下の数ミリ違うだけで音色も響きもまったく違うものに。角度を変えて厚みを変えて、と微妙な差を付けながら試行錯誤しても、焼成したらまたさまざまな条件で完成品に思わぬ差が生まれたりするんです。思い通りにいかないからこそ、面白いところもありますがね。

成長の実感が活力を生む

宗次郎

オカリナとの衝撃的な出会いで生きる道を知ったという宗次郎氏

――元はフォークミュージシャンを目指していたと聞きましたが、もともと音楽に関する造詣が深かったのでしょうか。 宗次郎:いえいえ、フォークミュージシャンといっても職業にするつもりは全くなかったんです。オカリナも同じで、ただ充実していたから続けていって、気づけばここまで駆け抜けていたといいますか……。  自分が惚れたオカリナの音をみんなに届けたい、良い音が響く笛を作りたいという一心で向き合い続けてきました。お金になるかとか、将来はどうしようといった邪念は挟まず、こねる土の1つひとつに魂をこめる生活を続けていたんです。  目標に向けて一心不乱に進んでいた修業時代は、今思い返してもすごく充実していました。お金はなかったんですけども、そんなことが気にならないくらい。昨日よりも今日成長していると実感できた時は、興奮して朝までオカリナ作りに没頭していたこともあったかな。明け方までにもう10本、「いまやるしかないんだ」と意気込んだりして。  デビュー40周年も間近に見えてきましたが、演奏している時はいまだに深い充実感を感じます。一切の邪念を捨ててこれだと進める道を見つけられたのは、幸運でした。まだまだ道半ば、これからもオカリナを探求していきたいです。 <取材・文/木村義孝> 【宗次郎】 陶製の笛オカリナの第一人者。群馬県館林市出身。1975年、生まれて初めて聴くオカリナの音色、響きに魅せられ、自分の目指す音を求めて本格的にオカリナ作りを始める。1985年までの10年間に制作した数は1万個を超えている。2022年10月に3年振りとなるオリジナル・ニューアルバム『オカリーナの森・心象スケッチ』を発売
副業フリーライターとして2年活動したあと独立。子育ての苦労と楽しさを噛みしめつつ、マンガ趣味の影響で始めた料理にも全力投球している。クルマを走らせながら一人でカラオケするのが休日の楽しみ
1
2
3
おすすめ記事