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WBC優勝で歓喜に沸く日本列島。いつか“第二の大谷翔平”を見てみたい

主人公・大谷が締めたクライマックス

 国内選手たちが奮闘して、しっかりとバトンを繋いだ。いわば8回を迎えたときに、この展開で試合をひっくり返されたしても悔いはないという状況をつくり出していた。ダルビッシュと大谷が、この試合の責任を取る。アメリカの舞台で戦う2人に託すという舞台が整ったのだ。  ダルビッシュは1失点したものの、リードした展開で繋いで見せた。そして、9回のクライマックスへと向かったのだった。  大谷は先頭打者を出しながら、併殺打後にトラウトを三振。その直後には帽子やグローブを放り投げ、歓喜の輪をつくったのである。

高校時代に蒔いた種から始まった

 物語はこうして完成した。それは大谷一人の力では叶わないことであった。だが、それは大谷が蒔いた種が花開いた瞬間でもあった。 「日本は投手力が武器だと言いましたし、実際にチームを見て思ったのは若い選手たちの投手力は、特にスピードに関しては確実に上がっていて、良い傾向だと思った。僕が日本にいたときよりも、ワンステップもツーステップも上がっているなと思います」  裏を返せば、スピード革命を起こしたのは大谷本人だった。高校時代に160キロを計測。それはただ「大台を超えたい」ということではなく、野球界のレベルのことまでを目指した彼の野望だった。大谷はこんな話をしている。
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新聞社勤務を経て、2003年にフリージャーナリストとして活動開始。『Number』(文藝春秋)、『slugger』(日本スポーツ企画)などの紙媒体のほか、WEBでも連載を持ち、甲子園大会は21年連続、日本シリーズは6年連続、WBCは3大会連続で取材している。2018年8月に上梓した「甲子園という病」(新潮新書)が話題に。2019年には「メジャーをかなえた雄星ノート」(文藝春秋)の構成を担当。 Twitter:@daikon_no_ken

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