餌動物の多い生息地で、なぜユキヒョウは家畜を襲うのか
ユキヒョウが家畜を襲わないように天井にフェンスをつけた家畜小屋。幸運を祈って白いシルクの布を木にくくる。©︎twinstrust
そして、ユキヒョウに家畜が襲われた村で、クラウドファンディングで集めたお金の一部を使って柵を作っていった。
「作業はかなりの重労働でした。まず、石を積んで外壁を高くし、その間を泥で固めていきます。積み上がったら、太く長い木の棒を固定してその上にフェンスを敷いていきました。これで、高所から獲物を狙うユキヒョウの侵入を防ぐことができます」(こづえさん)
ユキヒョウの貴重な餌動物であるマーモット。ちょうど4月は冬眠から明けたマーモットが、いろんな場所から顔を出す時期だった。©︎twinstrust
ラダックのユキヒョウ生息地は、他の生息地と比べて、特に野生動物の種類や数が多い地域だといわれている。
「アイベックスはもちろん、マーモットやウリアル、ヤク、アルガリ、アンテロープ、ガゼル、ブルーシープなどの草食動物、オオカミ、リンクス、アカギツネ、ヒグマ、コツメカワウソ、ムナジロテンなどの肉食動物も多かった。5種類のナキウサギも生息していました。緯度の低いインドは、森林限界の高度が高く、標高3500mを超えても木がたくさん生えている場所があります。それが動物たちの貴重な栄養源となっているようです」(同)
民家の裏山に居たアイベックスの群れ。立派な角をもつ雄たちが雌と一緒にくつろいでいる。©︎twinstrust
しかし、それほど野生動物が豊富な土地で、ユキヒョウはなぜ家畜を襲ってしまうのだろうか。
「人間に近づいて、身の危険を冒してまで家畜を襲うのには、相当な理由がきっとあるはずです。その原因を解明することも、大切な保全活動の一つだと思っています」(同)
人間が野生動物と「共存・共生」していくとは、どういうことなのか
ユキヒョウの生息場所は、ゴツゴツした岩場も多い。森林限界を超えているため植物はほとんどなく、低木が少し生える程度。白く少し黄色みがかった模様は、岩肌によく馴染む。岩崖に潜む姿は、まるで忍者。重心が低く、長い尻尾でバランスをとりながら急な崖も軽快に移動する。©︎twinstrust
ラダックのフィールドワークから日本に帰国して半年後、こづえさんは再びラダックへと戻ってきていた。前回仕掛けておいた赤外線カメラを回収するという目的があったためだ。
「回収してみると、ユキヒョウが確かに写っていました。現地団体のジグメットさんが仕掛けたカメラには、何と10個体ほどもユキヒョウが写っていたんです。餌資源が多いこの土地は、ユキヒョウのホットスポットと言っていいかもしれません」(こづえさん)
仕掛けたカメラに写っていた、夜にマーキングをしながら岩場を歩いて通り過ぎていくユキヒョウ。©Snow Leopard Conservancy India Trust
今回のフィールドワークを経験して、こづえさんが今後掘り下げたいと思ったテーマは、「ユキヒョウと人との共存・共生」だという。
「現地の方々に聞いたところ、ユキヒョウによる家畜の被害は夏と冬に多いとのことです。ユキヒョウの繁殖スケジュールで考えると、冬は妊娠期で、夏は育仔期にあたります。詳しく調べないとわかりませんが、もしかして襲撃しているのは雌が多いのではないか? とも思います」(同)
お世話になっていた家のお母さんと。手元のユキヒョウフィギュアは、お母さんが家畜の毛で手作りしたもの。©︎twinstrust
ラダックに行って、野生のユキヒョウを見ることができたのと同時に、「ユキヒョウを『まもる』とはどういうことか」との視点を改めて授かったことは、非常に大きなことだったとこづえさんは語る。
「これまでの私は、『野生動物との共存・共生』という言葉をきっと、どこか他人ごとのように口にしていたのかもしれません。日本の動物園で、たくさんの日本人が『かわいいね』と言って見ているユキヒョウは、現地の人にとっては家畜を襲う害獣。それと同時に、生息地の自然の豊かさを表す象徴種でもあります。野生動物と『共存・共生』する『人』とは誰のことなのか。誰のための、何のための保全なのか。その答えは、今もまだありません」(同)
その想いは、研究者としてこづえさんが一生向き合い続けていくテーマの一つなのかもしれない。姉妹のユキヒョウを巡る旅は、まだ始まったばかりだ。
【ユキヒョウとは】
哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属に分類。学名はPanthera uncia。ロシア・中央アジアから南アジアにかけての12か国に生息し、世界で一番高いところにくらすネコ科動物。生息数は不明だが多くても推定8000頭未満とされ絶滅の危機に瀕している。寸胴な体型と長い尻尾を活かして、岩山の高低差を利用した狩りでブルーシープなどの餌動物を捕える。雪山に適応して毛が長く、足裏までぎっしり生えている。冬に交尾し、春に1~3頭程度を出産。22か月ほどの長い育仔期間をもつ。日本では9つの動物園で観ることができる(2023年3月現在)。
双子の姉・木下こづえさん(右)、妹の木下さとみさん(左)。(インド・ラダックにて撮影)©︎twinstrust
【ユキヒョウ姉妹(木下こづえ・木下さとみ)】
双子姉妹の姉・こづえさんは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授で、保全・繁殖生理を専門とする野生動物研究者。妹のさとみさんは広告会社の電通でコピーライターをつとめる。姉妹の専門性を活かした任意団体「twinstrust」を設立、ユキヒョウの魅力を伝え保全活動を行う
「まもろうPROJECT ユキヒョウ」を立ち上げた。4月18日に
『幻のユキヒョウ 双子姉妹の標高4000m冒険記』(扶桑社)を上梓予定。