目立つ財布は持たず普段着にも気を使う
一方、メキシコでは(あるいはラテンアメリカでは)、少なくとも外国人として暮らしていた僕に関していえば、周囲に気を張りながら歩くのは当たり前で、歩き方も基本はスタスタ直線的に迷いなく、
そして、家の出入りの際は必ず周囲を確認したうえで迅速にといった、いろんな細かい心がけを欠かさず実践していた。
目立つ財布は持たず、普段着はなるべく使い込まれたものだけを身につけ、外国人である見た目以外は不必要に人目を引くことがないようにしていた。
ほかにも、警察が信用できないからパトカーを見ると警戒してしまうとか、麻薬組織の襲撃に巻き込まれるリスクがあるから地域によっては警察署にもなるべく近づかないほうが良いとか、駅で発砲事件があるとか、治安の悪さを伝えるエピソードは無限に存在する。
たしかにこれだけ聞いてしまったら、誰もメキシコに行きたいなんて、まして住みたいなんて思わないだろう。ところが、それでもやはり、僕は必ずこのあとに付け加える。「でもね、本当に住み心地が良いんですよ」。つまり、本当に伝えたい話はここからだ。
メキシコの風景(写真:タカサカモト氏提供)
日本とラテンアメリカを比べたときに、僕が印象として感じる最大の違いは「人間の多様性の幅」だ。具体的には、良い人と悪い人の分布具合が大きく異なっている。
あくまで印象論になってしまうが、日本の場合、良い人も悪い人も一定の範囲内に収まっている印象がある。そして良い人の大半は「
基本的にちゃんとした普通の良い人」で、その逆側には「悪い人」というより、「何か微妙な感じの人」「ちょっと変わってる人」みたいな印象を与える人が一定数存在する。それで、たまに「めちゃくちゃ良い人」とか「ヤバい人」「悪い人」が登場して、どちらの場合もけっこう驚かされる。
個人で感じ方の差はあると思うが、同じように感じる方も一定数いるのでないかと思う。逆にいえば、
「当たり前のことじゃないか」と感じる方もいると思うので、ラテンアメリカの話を続ける。
端的にいうと、向こうはこの「良い人と悪い人の幅」がもっと広くて、日本の感覚ではありえないようなレベルのめちゃくちゃ良い人が、わりと普通にその辺に存在する。ただし、その代わり、同じく日本では想像もできないような、申し訳ないけどありえないくらいめちゃくちゃな人にも、わりと普通にお目にかかることがある。
フットリンガル代表。1985年4月12日、鳥取県生まれ。東京大学文学部卒業。田舎から東大に進学後、人生に迷う。大学の恩師の助言で自分に素直に生きた結果、メキシコでタコス屋見習い、鳥取で学び場づくり、ブラジルの名門サッカークラブ広報、ネイマール選手の通訳などを経験。Twitter:
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