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田舎で暮らす老いた親の面倒を、地域に“外注”している子供たち/猫山課長

子供の代わりをする近所の高齢者

 でも、君らが帰ってこなくても、年寄りは生きていかなきゃならない。  でも、年寄りは独力では生きられなくなっていく。  そんなとき、支えるのは地域の住人だ。田舎の年寄りは、地域によって支えられている。  近所の人たちとの日々の交流は、高齢者の安否確認になっている。地域の奉仕活動は、力のない年寄りが安心して暮らすためのインフラ維持に直結している。めんどくさくてしょうがない地域自治体の役割だって、地域全体を維持していくために皆が協力してやっている。力のない年寄りが、当たり前に日々生活できているのは地域住民のおかげだ。  つまり、親から離れて暮らす君たちの代わりを、地域が行っているんだ。地域は君らの外注先として機能している。 「確かに親から離れて暮らしているけど、自分だってこっちの地域で貢献している」  そう言いたいのもわかる。でも、悪いけどこっちは若い人が少ないんだ。そっちよりずっと。だから、若い人の負担は田舎のほうが大きくなる。  もっと本当のことを言えば、田舎はもう年寄りが年寄りを支えている。若い人が少ないから、地域を維持するのに年寄りも駆り出されている。老老介護って聞いたことがあると思うけど、地域維持も同じだ。年寄りが住みよくなるために、年寄りが奮闘している。それが、あとどれだけ維持できると思う?  君たちが「パージ」した年老いた親は、地域が支えている。それを責めるつもりはないけど、その事実は知っておくべきだ。普段目にしないからと言って、自分の親を取り囲む現実を知らないのはどうかと思う。田舎は、年寄りにとって住みやすい環境では決してない。そこに親が残されている現実は忘れるのはどうなんだろう。  田舎そのものが「姥捨山」になるのはしょうがない。もうその流れは変えられない。けど、年に1回子どもを連れて実家に帰って、親の笑顔を見て「親孝行した」なんて感想はやめてくれ。限界が見えている地域に親を置いて、先細りしていく地域に親を依存させていく現実の中で、「元気な顔を見せた」だけの自己満足は残酷なんじゃないかな。  姥捨山って言ったけど、これは全然誇張なんかじゃないよ。車で昼間に地元を一周してみなよ、年寄りしかいないから。山手線の車窓から見える景色とは全然違うから。    そしてと20年もすれば、東京だってそうなるかもしれない。そのとき、田舎みたいに支えあって生きられるのかな。消費でしか繋がっていない場所で、君らはどんな年寄りになるんだろう。 <文/猫山課長>
金融機関勤務の現役課長、46歳。本業に勤しみながら「半径5mの見え方を変えるnote作家」として執筆活動を行い、SNSで人気に。所属先金融機関では社員初の副業許可をとりつけ、不動産投資の会社も経営している。noteの投稿以外に音声プラットフォーム「voicy」でも配信を開始。初著書『銀行マンの凄すぎる掟 ―クソ環境サバイバル術』が発売中。Xアカウント (@nekoyamamanager
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