「車がないのは人権がないのと同じ」高齢者ドライバーに怯えながら生きる田舎モンの現実/猫山課長
【日本の99%は山手線からは見えない 第8回】
仕事中にプライベートの携帯が鳴ると緊張してしまう。大抵いい知らせではないからだ。
「あ、○○さん、仕事中ごめんね〜」
僕の家族と、僕が副業で社長をしている会社の自動車保険をすべて任せている保険代理店の担当者から、馴れ馴れしい大きな声が聞こえてくる。僕はあわてて自分のデスクから離れる。
「ああ、いつもお世話になってます。何かありましたか?」
この担当者はこっちが仕事中であってもお構いなしにかけてくる。ずっとそうだ。まあいつも応答してしまう僕も悪い。問題ないと思わせてしまっているのだ。
「なにかありましたか?」と聞いてはみたが、もちろん車のことに決まっている。それ以外の用はないはずだ。
「あのさ、お父さんって今どこにいるかわかるかな? 連絡取りたいんだけど携帯に出なくてね」
「え?! 父ですか??」
親父に何かあったに違いない。
「あー、言わないでくれってお願いされてたんだけど、お父さん事故起こしちゃってね」
「まさか、人身事故ですか⁉」
思わず声のトーンが上がる。視界が狭くなっていくのを感じる。
「いやいや、自損事故でぶつけちゃっただけ。そのことで連絡取りたいんだけどさ」
自損だからいいわけではないが、人様に怪我をさせてなくて本当によかった。ましてや死亡事故だったら、ウチの家族は崩壊している。
父は、医者から運転は控えるよう言われている。ウチの家系は認知症気味というか、老化すると頭に影響が出やすい家系のようで、父もどんどん頭も体も衰えていっている。乗っている車は小型車で、ぶつかりそうになるとアラートが響くなど、安全性能はそれなりに高い。でも、ぶつけてしまう。
実家に行くたびに父の車をみると、傷が増えている。細かい“事故”が起きているのがわかる。そのうち、誰かを轢いてしまってもおかしくない。想像するだけで背筋が凍る。
免許を返納したらどうか。そう父に言おうと思っても、言えない。この田舎では、車がなければどこへも行けない。免許を返納しろと要求するのは、「囚人として生きろ」と宣告するに等しいのだ。
令和5年3月末における世帯あたりの自動車の普及台数は、全国平均で1.025台。最も少ないのは東京で0.416台。最も多いのは福井県で1.698台となっている。東京では車がなくても生活に支障がないことがわかる一方で、最多の福井県で1.698台というのは田舎に住む身としては「もっと多いはずだ」と感じてしまう。
僕の住んでいる地域は県庁所在地から離れた田舎であり、成人一人につき一台の車があるのが常識だ。そうでないと生活ができないのだ。
■保険代理店からの不穏な電話
■「免許を返納したらどうか?」と言えない
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金融機関勤務の現役課長、46歳。本業に勤しみながら「半径5mの見え方を変えるnote作家」として執筆活動を行い、SNSで人気に。所属先金融機関では社員初の副業許可をとりつけ、不動産投資の会社も経営している。noteの投稿以外に音声プラットフォーム「voicy」でも配信を開始。初著書『銀行マンの凄すぎる掟 ―クソ環境サバイバル術』が発売中。Xアカウント (@nekoyamamanager)
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