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“慶応卒コンビ”がUber配達員を経てYouTuberになったワケ「20代は挫折を繰り返した」

時給2500円の時もあったUber配達員時代

——下積み時代に、お2人のユニット名の元にもなったUber Eats配達をやろうと思ったのはどうしてですか? たつみ:会社をやめる前にSNSで知って。昼間は体動かして稼いで、頭の方は全部動画に投入しようと思いはじめました。 つじ:僕は『東京ウーバーズ』を始める前にたつみにゴリ押しされました。「プロモコード教えるから!」って(笑)。TikTokは収益化できないので、YouTubeを始めるまでは2人ともそれが収入源でした。 ——当時のUber Eatsは稼げましたか? つじ:そうですね。当時は日中に週4日頑張れば1ヶ月暮らせるくらいでした。 たつみ:僕たちが配達員をはじめたのがコロナ禍初期で、フードデリバリーがどんどん盛り上がっていってるときだったんです。どこも人手不足なので単価を上げて配達員を募集していて、時給が2500円を越えるときも普通にありました。今は配達員も増えましたし、外食もできるので、だいぶ落ち着いてしまいましたね。タイミングがよかったと思います。

少しでも遅れるとキレられる

——配達員として大変だった出来事はありますか? たつみ:細かいことならいっぱいあります。配達先がカタギじゃない雰囲気のお兄さんだったりとか、配送が少しでも遅れると結構キレられることとか……。 つじ:お客さんが設定してる住所が間違ってて、怒られるときはキツいです。メンタル面だと、先の見えない生活がいつまで続くのか見通しが立たなかったことですね。 たつみ:周りの話しを聞くと、今は売れない芸人さんとかも結構配達やってて。今の時代、Uber Eatsは新しい下積みの定番なのかもしれませんね。僕も当時は「これは夢へと続く滑走路だ!」と自分を奮い立たせてバイクを走らせていました。 ——ちなみに現在もUber Eats配達員はやっているのでしょうか? つじ:おかげさまで今は2人とも卒業しています!
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