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結成35周年の爆笑問題「いつまでもプレーヤーとして舞台に立ち続けたい」

 長年お笑いシーンをけん引し、結成35周年を迎えた爆笑問題。多彩な才能を持つ太田光と、器用でマイペースな田中裕二は、テレビ、ラジオ、雑誌と多岐にわたるメディアで活躍するが、一方で漫才師としてギリギリなネタを披露し続けてきた。昭和の終わりから平成を経て、SNS社会の令和で〝炎上〟はするものの、どんな時代でも表現することを諦めない二人。35周年記念号を締めるインタビュー、表紙を敷き詰めたセットを踏みしめて、太田光と田中裕二が芸人として挑戦を続ける理由を語る。

俺らもSPA!も35年生き残ってる理由がわからない(笑)

bakushomondai_01 エッジ

日本列島がバブル景気に沸いた1988年――。 のちにお笑い界の頂点に君臨する落伍者の若き二人がコンビを組んだ。 あれから、はや35年。目まぐるしく変わり続けるメディアと爆笑問題の軌跡を、今振り返る。

――今回週刊SPA!は、創刊35周年記念号です。爆笑問題と同じ年に生まれました。 田中:すごいセットだな~。あ、大谷! 日ハム時代に表紙やってたんだ。 太田:芸人も多いね。ドリフ、とんねるず、ナイナイ、これは……極楽か。 田中:もえちゃんもいる! このセット、写真撮っても平気?  ――どうぞどうぞ。 田中:この号の特集、「最強のヌードを決める」だって(笑)。 太田:あれ、俺らの表紙は? 時代の顔がこんなに勢揃いで、俺らやってないのか(笑)。 ――意外でした。でも、この「エッジな人々」には、コンビで過去3回出演。初登場は1997年です。ほかにも週刊SPA!で爆笑問題が出た初期の記事を見ると、ゲームの特集で「芸能界のゲーム王」と紹介されていました。 太田:ゲーム王(笑)。でも、たしかにゲーム三昧の時期があったからね。元の事務所から独立して仕事がないときとか。 ――昨今の週刊誌について思われることはありますか? 太田:今年になって週刊朝日も休刊を発表したし、本当に雑誌は厳しくなるね。俺も最近は読めてないんだけど、そういう空気は寂しいっちゃ寂しいよ。それにしてもSPA!はよく生き残ってるな。なんでかよくわかんないけど(笑)。 田中:まぁ、お互いさまだよ。

雑誌は露悪的なのも多かった

爆笑問題――1990年代半ばは、爆笑問題も再ブレイクし、雑誌の連載も増えた時期でした。 太田:今振り返れば、当時は新しい雑誌もいっぱいできて、出版界も元気だったな。当時の雑誌は露悪的なのも多かったよね。 ――お二人も1994年には、『宝島30』で『爆笑問題の日本原論』を連載してます。漫才の掛け合いのように世相を斬る内容で、それをまとめた書籍は50万部の大ヒットになりました。 太田:俺は連載を始めたときから、「絶対に本にしよう」と思ってやっていたけど、当時の宝島社の社長からは「こんなものが売れるわけない」って言われてた。結局バカ売れだったけどさ。 ――一方、田中さんの連載といえば、『テレビブロス』の紙粘土ですよね。 田中:雑誌が休刊してからは、ウェブで続けてますよ。ただ、前は雑誌が送られてきて読んでたけど、俺はネット音痴だからウェブになってからは見方すらわかんないね(笑)。
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『笑って人類!』は、映像的な仕掛けが満載の長編小説
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企画や体験レポートを好むフリーライター。週1で歌舞伎町のバーに在籍。Twitter:@tsumami_gui_

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