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巨人坂本勇人は“20年に1人の選手”だと思った…母校監督が語る「高校時代の坂本」

高3時は甲子園に出場できなかったが…

 八戸学院光星のグラウンドは、両翼96メートル、センター118メートルある。だが、坂本は広さを苦にもせず、高い弾道を描いた打球を左中間に深々と飛ばし、フェンスオーバーをすることがしょっちゅうあった。  彼が高校3年になった2006年、春のセンバツでは「4番・ショート」として出場するも、岡山の関西に4対6で敗退。夏は青森大会の決勝で青森山田に4対5で敗退し、甲子園出場はならなかった。  そうしたなか、仲井が坂本に強烈な印象を残っているシーンが2つある。1つは東北大会の決勝で仙台育英との試合である。この試合は24対4という記録的なスコアで圧勝したのだが、この試合で坂本は3安打7打点と活躍。8回には低めのストレートを左中間の場外へ運ぶ本塁打を放った。仲井曰く、「あの子には球場の広さは関係ない」と坂本を評していたのは、細身の体ながら人並外れた天性の打球を飛ばす才能をわかっていたからである。

今でも忘れられない「すげえ打球」

 さらにもう1つ、仲井が今でも忘れられないシーンがある。坂本が高校2年生のときの05年の夏の青森大会の決勝で、光星学院は青森山田と対戦したときのこと。相手の投手は後にロッテにドラフト1位で入団した柳田政利。ストレートとキレのあるスライダーで勝負する本格派左腕だった。  試合は光星学院の防戦一方となった。結果は1対8で青森山田が勝ち、甲子園出場を決めたのだが、光星学院の唯一の得点が、4回裏に4番の坂本がバックスクリーン横に放った本塁打だった。高い放物線を描いてフェンスオーバーした打球を、仲井は「すげえ打球だな」とつぶやいて、じっと見つめるだけだった。 「後にも先にも、あんな打球を飛ばす選手はウチには出てこなかったですね。それだけに今でも脳裏に印象強く残っているんですよ」  仲井はそう語る。
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今だったら巨人に入っていないかも?
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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