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生き別れた父を探してイタリアに。ハーフ芸人・武内剛が語る「“芸人村”のご法度に挑んだ」ワケ

手がかりがないまま3日が過ぎて…

ぶらっくさむらい――映画の中では、ぶらさむさんはずっと前向きに明るく父親探しをしているように見えましたが、実際には「ひょっとすると見つからないかもしれない」と焦ったりもしていたんですか? ぶらさむ:最初の3日間ぐらいは本当に何も進展がなくて。3日目ぐらいになるとカメラマンの人も「本当に大丈夫か?」って圧をかけてくる感じがあって、僕も「あれ? ちょっとヤバいかな?」と思いました。  そのときにSNSで情報提供を呼びかけたら、実際にイタリアに住んでいる方からもいろいろアドバイスをいただいて。その中で「アフリカの人たちのコミュニティに聞き込みに行ったほうがいいよ」と言われたんですね。それで4日目から少し状況が変わりました。

芸人村のご法度に挑んだワケ

ぶらっくさむらい――実際に会えたかどうかは映画を見てからのお楽しみ、ということなんですよね。撮影を終えてから自分で編集をするのは大変ではなかったですか? ぶらさむ:楽しかったですね。構成の人やカメラマンの方にも意見を聞きながらやっていました。ある程度できたものを何人かの知人に見てもらって、感想をもらったりもしました。だから、自分1人で作ったというよりは、制作スタッフと仲間たちで作ったっていう感じですね。 ――ぶらっくさむらいさんは普段は芸人として活動をされていますが、映画監督としては「武内剛」という本名でやっていて、内容も正統派のドキュメンタリーですよね。ご自分の中では「ぶらっくさむらい」と「武内剛」を区別する意識があるんでしょうか。 ぶらさむ:そうですね。たぶん“芸人村”のルールとしては、父親を探して感動の再会をしようとか、そういうのはご法度なんですよ。タブー中のタブーなんです。  でも、今回のドキュメンタリーではあえて笑いを捨てたんです。やっぱりガチじゃないと伝わるもんも伝わらないな、って。この作品には社会的なテーマもいくつか含まれてると思うんですよ。僕がハーフだっていうこともそうだし、片親の家庭で育ったというのもあるし。この社会でいろいろ悩みを抱えて生きてる人もいるので、真面目に作ったほうがそういう人にも届けやすいかなと思ったんです。  あと、正直、僕自身がもともと芸人という肩書きにあんまりこだわりがなくて。ぶらっくさむらいっていう芸名も、芸人になる前の10代の頃から使い始めていて。そのときは音楽をやっていたんですけど、自分なりに言葉足らずながら「俺は肌が黒いけど日本生まれの『Black Samurai』だぜ」みたいなのを、ラップとかでやっていたんです。だから、今回の映画はぶらっくさむらいとしての活動の集大成っていう感じはしますね。
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お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『教養としての平成お笑い史』など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで

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