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「マンションの壁が血で染まった」家庭内暴力を受けたアイドルが“傍観する母親”に感じた絶望感

母に「手のひら返し」された結果…

 結局、妹への攻撃を契機として、親子は家を出た。だが男性はストーカーとなり、母子家庭を支援してくれる施設を転々とすることになった。最終的に逃げた先は沖縄県。すでに高校3年生になっていたえんじてゃ氏は、大学受験を巡って母親との亀裂をはっきりと自覚した。 「母は当初、『MARCH(明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学)に入れるなら、いくら借金してでも入れてあげる』と言っていましたが、いざ模試の結果がじゅうぶん射程圏内であることがわかると、『東京の私大なんて通えるわけないでしょ』と手のひらを返しました。  このショックが引き金で、私は自殺を図り、精神病院へ入院しました。母は『家で自殺されたら困るから、治療して』などと言っていました。私は入院中、大学受験について調べ、生活保護世帯なら学費などを優遇してくれる国立大学があることを知り、結果的にそこへ進学することができました」

「家出してから会っていない」母に対して思うこと

 えんじてゃ氏は母親に対して、こんな見方をしている。 「母は先を見通したり、本質的なことを考えるのを避けて生きてきたのではないでしょうか。母の彼氏が私にしてきたこと、そしてそれを傍観していた母の態度は、間違いなくいじめの構造です。それぞれ社会ではあまりうまくいかなかった人たちが、家庭のなかでは無敵に振る舞うことが許されて、弱い立場の私がすべての責任を引き受けさせられていたのかなと思います」  高校3年生の家出以来、えんじてゃ氏と母親は直接会っていない。アイドル兼プロデューサーとして頭角をあらわした氏が社会に出て感じたと語る印象は、これまでの生活の閉塞感を想像させる。 「現在は、セルフプロデュースという形で自分たちのやりたいエンターテイメントを体現できていますし、それを応援してくれたり、力を貸してくれる存在に支えられています。社会に出て、世間にいい人が多くて安心しています。世の中が生きづらいと思ったことはありません
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壮絶な家庭環境を生き抜いたからこそ…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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