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「おたくの息子さんは人間のクズ」…他者を見下す両親と縁を切った50代女性の告白

 毒親育ちは、人生の足枷になる。毒親に育てられた子どもは、およそ“子ども”と呼べる年齢を過ぎてなお、精神的に支配され、懊悩を続けるからだ。  本連載では、毒親に育てられながらも、社会で自分の場所を見つけようともがく市井の人々に焦点を当てる。  研修講師や司会者(MC)として一流ホテルや有名企業で活躍する槇原浩子氏(仮名・50代)は、親の呪詛を断ち切って20年以上が経つものの、当時を「絶対にこの家庭から逃げ出したいと思って生きてきた」と振り返る。
毒親

画像はイメージです

“厳格なエリート”の元で育てられる

「育った家庭は裕福だったと思います。はたから見れば品のいい家族に見えたでしょう。父は国家公務員として勤務しており、いわゆるエリートだったのではないでしょうか。とある省庁の局長をしていました。なんでも理詰めで処理する人で、『お前がその行為を行った理由を述べよ』というような責め方をしてくる人でした。  母は自分の認めた厳格な範囲しか“世界”とみなさないような人で、彼女の口から『こういう考え方もあるね』という協調的な言葉を聞いたことは一度もありません。彼女の考え方はまるで無菌室のようで、特にいろんな方面に惹かれがちな思春期の好奇心を理解せず、仕方なく母の考えに同意したふりをしている私を“本当の私”だと思いこんでいるようでした」  長女として両親の期待を背負った槇原氏は、誰もが知る名門高校に合格した。都会的で明るく、柔軟な考え方ができ、おしゃれな同級生たち。知性的で華のある顔立ちの槇原氏だが、同級生に対しては「住む世界が違いすぎて、常に引け目があった」と話す。

何に喜んで、何に怒るかさえわからなくなった

「『毒親』なんて言葉ができる数十年前のことですし、中学生くらいの私は何が辛いのかさえわからず毎日泣いていました。一度、中学校の先生に自分の辛さを打ち明ける手紙を書いたのですが、母に見られてしまい、『そんな悩みがあると知れたら、お前がおかしな人間だと思われるよ。目の動き1つでお前の考えてることなんかわかるんだから』と逃げ場を塞がれ、諦めました。  高校生になってからも、同級生は『クリスマスパーティやろう!』『行くー!』みたいな自由なノリですが、私は親の顔色を見てからでないと決定なんてできません。この頃には思考回路もややおかしくなっていて、たとえば何か出来事があったときに『普通の女の子ならどう考えるかな?』と逡巡してからリアクションをするようになっていました。  もはや自分が何に喜んで、何に怒るかさえわからなくなっていたのです。この考え方は社会人になってからもしばらく続き、『普通の人は休みの日何をするんだろう? 映画かな』という順路を経て映画館へ出掛けていました。自分が何を観たいのかわからないのに、です。  大学生になっても、男友達と外で数時間お茶をするなどの行為は、母の理解の外です。『婚約者でもない人間とそんなことをするなんて、頭おかしいんじゃないの?』と言われたこともあります。そして、その話題を1週間くらいずっと引きずります」
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ついに両親と縁を切ることに…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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