更新日:2023年10月12日 16:58
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「そろそろ次のキャリアを考えたら?」戦力外通告を受け、料理を武器に…“料理芸人”が語るブレイク前夜

「戦力外通告」を受け、料理を武器にしようと思った

――東京はどうでした? クック井上:初めてのライブで、意外とウケたんですよ。あの時ダメだったら、もしかしたら違う人生を歩んでいたかもしれないですね。俺たちいけるかも(?)なんて自信を持ったもんだから、相方がバイト先のパチンコ屋のゴミ箱から拾ってきた「月刊デビュー」という雑誌を見て、お笑いを募集している事務所のオーディションを受けに行き合格しました。ほぼ同時期に事務所に入ったのが、タイムマシーン3号です。 ――そこで売れた? クック井上:いやいや、全然です。13年ほど芸人を続けた頃、当時のマネージャーから「そろそろセカンドキャリアを考えたらどうだ?」って。やんわりとした戦力外通告でした。もう何もかもが上手くいかず、相方とはほぼ仲違いの日々。ただ簡単には諦めきれず、子どもが生まれたばかりの相方を説得しました。「事務所を変えて、もう1年だけゼロからやろう。それで何も変わらなかったらやめよう!」と。 それまで相方がボケで、僕がツッコミで、相方には「もっと面白くボケてくれ!」と求めてばっかりだったけど、僕もキャラを持たなくちゃいけないと思うようになったし、お笑いに対する意識も変わりました。ネタもそれまで以上に必死に書くようになったし、特技も増やそうとしました。その一つが料理だったんです。

新しい事務所は「食いついてくれた」

――もともと料理は好きだった。 クック井上:料理はずっと好きでした。芸人との飲み会のときも、みんなお金ないですから、僕が家に呼んで、料理を振る舞うと喜んでくれるんです。そうなると、だんだん凝り出してね。冬場の「4回味変する鍋」なんか特に好評でしたね。そのうち、お品書き作ったり、自宅の玄関外に看板つけたり、コックコートを着たり……どんどんボケを入れたら「井上、もうこっちだろ!」とみんなさらに喜んでくれました。 ――そんなに好きだったら、もっと前から料理好きを前面に出してもよかったような気もします。 クック井上:うーん。有名になってから、「料理もできるんです」というのが理想だったんです。売れてない芸人なのに料理を売りにするって、スベってるんじゃないかと思ってました。でも、ある時、響の小林が、「お前がスベっても誰もみてないよ(笑)。伝家の宝刀の料理を推せよ!」って言ってくれて、目が覚めました。 ――そして事務所を移ったと。 クック井上:『アメトーーク』(テレビ朝日)などで、特技がある「○○芸人」が出始めた時期だったので、野菜ソムリエ、食育インストラクター、バーベキューインストラクター、フードコーディネーターなどの資格を取ってから、新しい今の事務所に面談に行きました。 「芸人もこれからはネタだけじゃない時代」と、マネージャーさんが食いついてくれました。新しくお世話になることになったSMAという事務所は、ライブで勝ち抜くとテレビ番組のオーディションを優先的に出してくれるサバイバル方式。上位にランキングされ、昔は全く勝てなかった『オンバト』(NHK)でもオンエアを勝ち取ることができました。
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名付け親はタイムマシーン3号の山本氏
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