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なぜ新宿ではなく“池袋のゲイバー”が三島由紀夫の小説で舞台になったのか。「麻布」と対極を成すような土地が必要だった説

新宿・渋谷と並ぶ副都心の一つ、「池袋」。近年では再開発も進み、「住みたい街ランキング」の上位に位置するなど大きな変貌を遂げている。しかし池袋について書かれたものは意外と少ないはずだ。この連載では、そんな池袋を多角的な視点から紐解いていきたい。 「巣鴨プリズン」と呼ばれた東京拘置所の跡地にサンシャインシティが誕生したのは1978年。サンシャインシティができるまでにはこの土地をめぐってさまざまな思惑が動いていた。前回の連載で私は、その跡地の計画の活用方法として西武パルコの総帥・堤清二が考えていた計画について書いた。彼はそこで「監獄ロックフェスティバル」を行うという計画を立て、三島由紀夫に相談しようとしていた。結局それは実現せず、三島由紀夫に相談されることもなく消えてしまい、幻と化したのだった。 ここで唐突に三島由紀夫が登場することに驚く読者もいるかもしれない。けれども、池袋の歴史を見ていくとき、実は三島由紀夫が池袋と大きな関わりを持っていたことが明らかになる。今回は、三島由紀夫と池袋の関係について見てみよう。
池袋

picture cells – stock.adobe.com

主人公が池袋のゲイバーで働く小説『肉体の学校』

三島が池袋という土地と関係を持ったのは、まず、彼が1963年に『マドモアゼル』(小学館)誌上で連載をしていた『肉体の学校』という作品においてである(1964年に単行本として発売された)。この小説は華やかな社交界を舞台に、遊びとしての恋愛を繰り返す華族の未亡人、妙子(たえこ)と年若い学生バーテンダー千吉(せんきち)の恋の顛末を描いたエンターテインメント小説である。三島の他の作品と比べればかなりライトな文体で、大衆小説の趣が強い。それゆえ三島の作品評ではあまり語られないことが多い作品なのだが、この作品の中で池袋が登場するのである。 主人公の千吉はヘテロセクシュアルだが、ゲイバーで働いている。そして、彼が働くゲイバー「ヒヤシンス」がある街こそ、他でもない池袋なのだ。三島は『仮面の告白』などの作品で同性愛を主題にした作品を発表しており、彼の作品において「同性愛」というテーマは重要な主題の一つである。だから、その同性愛の象徴的な場所である「ゲイバー」の場所を池袋に設置したことには何らかの意図があると思われる。

1960年代の段階で「新宿=ゲイの街」だったが…

そもそも、三島がこの小説を書いていた1960年代、東京におけるゲイタウンの立地はどのようになっていたのか。作家の伏見憲明は「1966年の時点ですでに80軒ほどのゲイバーがあったよう」であると述べ、すでに1960年代の段階で「新宿=ゲイの街」というイメージが根付きつつあったことを述べている。 また、三島自身が、銀座のゲイ・カフェ「ブランスウィック」の常連であったことは有名な話だ。実際、彼は『禁色』という作品で登場するゲイバーについてはこの「ブランスウィック」をモデルとしている。 そうであるならば、なぜ三島は『肉体の学校』におけるゲイバーの舞台を「銀座」や「新宿」にしなかったのだろうか。
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「東京の郊外」というイメージが強かった?
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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