なぜ新宿ではなく“池袋のゲイバー”が三島由紀夫の小説で舞台になったのか。「麻布」と対極を成すような土地が必要だった説
―[ありのままの池袋]―
新宿・渋谷と並ぶ副都心の一つ、「池袋」。近年では再開発も進み、「住みたい街ランキング」の上位に位置するなど大きな変貌を遂げている。しかし池袋について書かれたものは意外と少ないはずだ。この連載では、そんな池袋を多角的な視点から紐解いていきたい。
「巣鴨プリズン」と呼ばれた東京拘置所の跡地にサンシャインシティが誕生したのは1978年。サンシャインシティができるまでにはこの土地をめぐってさまざまな思惑が動いていた。前回の連載で私は、その跡地の計画の活用方法として西武パルコの総帥・堤清二が考えていた計画について書いた。彼はそこで「監獄ロックフェスティバル」を行うという計画を立て、三島由紀夫に相談しようとしていた。結局それは実現せず、三島由紀夫に相談されることもなく消えてしまい、幻と化したのだった。
ここで唐突に三島由紀夫が登場することに驚く読者もいるかもしれない。けれども、池袋の歴史を見ていくとき、実は三島由紀夫が池袋と大きな関わりを持っていたことが明らかになる。今回は、三島由紀夫と池袋の関係について見てみよう。
主人公が池袋のゲイバーで働く小説『肉体の学校』
1960年代の段階で「新宿=ゲイの街」だったが…
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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