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なぜ新宿ではなく“池袋のゲイバー”が三島由紀夫の小説で舞台になったのか。「麻布」と対極を成すような土地が必要だった説

死の直前に開かれた展覧会は「池袋の東武百貨店」

実は、この『肉体の学校』のあと、三島が次に池袋と関係を持つのは、その衝撃的な死の直前であった。三島は1970年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて自身が結成した「楯の会」と共にクーデターを起こし、割腹自殺を図る。戦後の歴史の中でも指折りの衝撃的な事件であるこの事件は、多くの人々を驚かせ、なぜ文学者である彼がこのような武力行動に走ったのか、現在に至るまで様々な考察がなされている。 実はその数日前、三島は自身の原稿などを展示する「三島由紀夫」展を開催していた。三島の割腹自殺を受けて警察は、この展覧会になんらかのヒントがあるのではないかと捜査をしたという。この展覧会は「三島の遺言」として受け取られたのである(志賀健二郎『百貨店の展覧会』)。 そして、その展覧会が開かれたのが、池袋の東武百貨店であった。三島はこの展覧会について、そのすべてを自身が監督し、キュレーションしようとしたというから、当然その会場についても並々ならぬこだわりを持っていたであろう。その時に選ばれたのが、「池袋」という土地だったのである。 こうした事実を並べてみると、三島にとって池袋という土地が持っていた重要性が見えてくるようだ。三島由紀夫と池袋。ここには、池袋のまだ語られてこなかった側面が存在しているようだ。 <TEXT/谷頭和希>
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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