ニュース

なぜ新宿ではなく“池袋のゲイバー”が三島由紀夫の小説で舞台になったのか。「麻布」と対極を成すような土地が必要だった説

「東京の郊外」というイメージが強かった?

その理由として考えられるのはまず、作品内での街の対比を鮮明にさせるという意味があったのではないか。この小説は、先ほども書いた通り、華族の未亡人・妙子と学生・千吉の恋愛が軸に進んでいく。妙子は洋装店を営んでいるのだが、それは麻布にある。現在でも高級住宅街としてのイメージを持つ山の手の一等地だ。 物語が主軸としている「身分違いの恋愛」を演出するためには、その「麻布」と対極を成すような土地が必要である。そう三島は考えたのかもしれない。そのときに使われたのが「池袋」という土地だった。1960年代の池袋はすでに、西武百貨店の前身となる「丸物百貨店」があったり、「池袋スケートセンター」がオープンしたりなど、決して寂れた街ではなかった。 しかし、やはり都心からの距離はそれなりにあり、「東京の郊外」というイメージは強く持たれていたのだろう。そのような土地だからこそ、千吉の場所を表す記号として「池袋」が使われたのではないだろうか。

「豊島園」にかけた「年増園(としまえん)」

また、『肉体の学校』の中で、妙子は、同世代の未亡人たちと集まって会合を開き、そこで自身の恋愛などをあけすけに話しているのだが、その集まりのことは自嘲気味に「年増園(としまえん)」と呼ばれていたことが作中では語られる。これは池袋から電車で行くことができた遊園地・「豊島園」にかけている。このような作中の細かい設定とのシンクロもあって、池袋という土地が選ばれたのかもしれない。 しかし、私は考えてしまう。 「池袋」という土地は、三島にとって単なる小説上の都合のよい舞台であること以上の意味を持っていたのではないか。
次のページ
死の直前に開かれた展覧会は「池袋の東武百貨店」
1
2
3
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ