エンタメ

木梨憲武が“幅広い層”から支持される理由。何をやっても光るセンスはドラマ『春になったら』でも健在

『春になったら』の木梨憲武は“通常運転”

さて、奈緒との共演作『春になったら』での演技が、かなりの評判だ。実演販売士の椎名雅彦(木梨憲武)は、余命宣告をされ、娘・椎名瞳(奈緒)に正月から打ち明ける。でも瞳の方でも結婚報告があり、それにかき消されて冗談だと思われてしまう。 『いぬやしき』(2018年)では家庭内に居場所がなく、どんより中年サラリーマンが余命宣告される役柄を演じた。中年の危機的な好演から(実年齢の)初老の名演となった『春になったら』ではどっこい、底抜けに明るい。例えば、余命物映画の傑作『生きる』(1952年)の志村喬のような陰鬱さは、お首にも出さない。 第1話を見ると、これまでのバラエティ番組同様、割と普通に木梨憲武が画面内にいるという感じ。でもどこか、『いぬやしき』や『生きる』ほどではないにしろ、抑制された切なさは漂う。それもまた“通常運転”の木梨だからこそ、にじむ初老の真骨頂だろう。

“オンリー木梨”の力技

明らかに木梨憲武でしかないのに、役柄をちゃんと理解し、自分のものとしてここまで引き寄せていることがすごい。歌手活動同様、俳優としてのデザイン力にもやっぱり優れている。 雅彦は、余命3ヶ月だというのに、なぜこんなに明るいのか。明るいけど、嘘っぽくならない。「結婚までにやりたいこと」リストを作成した瞳に対して、第2話で雅彦が「死ぬまでにやりたいこと」リストを逆提示する様は、モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソン共演の『最高の人生の見つけ方』(2007年)よりもっと楽天的。人生100年時代の途中、たとえ60代であってもへっちゃらなリアリティだ。 木梨憲武にしか許されない、オンリー木梨の力技。このオンリーとは雅彦が向き合う死そのもののことでもある。死だけが唯一、自分以外、誰とも交換不可能なもの。 楽天と未練。元気と痛み。など、二項対立する要素を矛盾なくあわせ持ち、絶妙な加減でたわむれる。余命宣告された初老男として、そして娘を誰より愛する父親役として、ワン・アンド・オンリーな才人の演技がひときわ輝く。 <TEXT/加賀谷健>
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
1
2
3
おすすめ記事
ハッシュタグ