更新日:2024年02月05日 16:28
エンタメ

現代の“上納システム”に通じるしきたりも…“平安”じゃなかった『光る君へ』の時代

「大河ドラマ以上」に強烈で壮大なフィクション

とはいえ、今年の大河ドラマを引き受けたのは、日本を代表する脚本家・大石静だ。大石は本作の脚本執筆に着手するにあたって、戦乱ばかりが華ではない大河ドラマを構想し、非戦闘をあらかじめ意図してもいる。 歴史の教科書でもおなじみの「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」で有名な道長は、必ずしも傲慢なばかりではなかったのではないか。大石の鋭さがこの大貴族の内実を正しく解剖していく。「望月」の歌は、道長の日記「御堂関白記」には見当たらない。 道長のライバルであり、最大の批判者だった藤原実資(演:秋山竜次)が「小右記」に宴のひと幕として記しているのみ。道長の傲慢さを象徴し、理由付けようとする同歌以外にも、優れた歌人として歌合を主催した功績も勘定に入れなければ。 第3回では、名歌人・藤原公任(演:町田啓太)を前に「俺のように字が下手で歌も下手」と言うけれど、いやいや謙遜。道長の援助がもしなかったら、紫式部(まひろ)が畢生の大作を世に出すこともなかっただろう。ある意味では、道長とその子・頼通による70年以上の政権下の平安こそ、夢か現か、大河ドラマ以上に強烈で壮大なフィクションではないか。さっきチョロリと指摘しておいた現代版の上納システムの解体なども含めて、このフィクションに学ぶべきことは多い。 <TEXT/加賀谷健>
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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