更新日:2024年03月05日 12:54
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“ひろゆきの妻”が200万円の借金を背負った理由。「同時に200万円の貯金もあった」

200万円の借金で反面教師の「両親と一緒じゃん」

西村ゆか――いわば「毒親」のお母さんからは、繰り返し「あなたがママを選んだのよ」と言われていたそうですね。 西村:おそらく母は、自分に言い聞かせていたと思います。私は、幼い頃から母が大好きでしたし、ずっと一緒にいたくて、色々な問題があっても嫌いにはなりたくなかったんです。でも、ギャンブルや借金で埋められない心の溝が生まれて。母は亡くなってしまったので確かめられないんですけど、私が選んで生まれてきたと言い聞かせることで、自分を保っていた気がします。 ――“子は親の鏡”とも言いいますし、人生で“母のようになってしまう”とよぎる瞬間はなかったのでしょうか? 西村:たくさんあります。目立ったのは、著書でも書いた200万円ほどの借金でした。お金は、父も含めた両親を反面教師として「この人たちのように狂った金銭感覚を持たない」と決めていたし、未成年のころから定期預金口座を作り、社会人になってからも勤務先の持株会へ入り、投資信託もはじめて、コツコツ貯めていたんです。 でも、摂食障害がひどくなり、5000〜6000円分の食料を買うためにコンビニへ1日数回通う生活を続け、月の食費が15〜20万円浪費していた時期があって。食べる以外で、ストレス発散のためにと買い物で散財もしていましたし、借金が200万円までふくらんだときに「なりたくないと思っていた両親と一緒じゃん」と、我に帰りました。 ――著書では、当時「伯父」と「祖母」が借金を肩代わりしてくれたと明かしていました。 西村:2人がいなかったら、踏みとどまれなかったもしれません。実は当時、200万円も借金しながら、200万円の貯金もあったんです。ワケが分からないですよね(苦笑)。会社員時代だったので給料から月々、延滞もなく返済していたんですけど、利子もあるので「いつになったらちゃんと返せるんだろう」と思い、相談したのが伯父だったんです。いっそ貯金で完済しようかと相談したら「貯金してあるお金は、大事なお金だから使ってはいけない」と言ってくれて、祖母と共に肩代わりしてくれたお金は、2年ほどで2人に完済しました。

両親の最期を目の当たりして

――その後、亡くなったお母さんとの対面も。以降、心のどこかでは許せたのでしょうか? 西村:早朝に亡くなって、息を引き取る瞬間には立ち会えなかったんです。病院から「呼吸が止まっている」と連絡が来て、駆け付けたときには亡くなっていました。親としておかしいと思う自分の感情は間違いではないですけど、許すとは違って、母の人生を受け入れられるようにはなりました。 ――かたや「ステージ4のがん」を患っていたお父さんとは、最後の対面ができなかったそうですね。 西村:フランス移住後で、自宅のネット環境が不調のときに「余命いくばくもない」と病院からメールをもらっていたので、確認できなかったんです。ようやくネットが復旧したときは、すでに火葬後だったと思います。父への気持ちは冷めていたし、関係修復は無理だとあきらめていたので、訃報を聞いての後悔はなかったです。 ただ、動揺はありました。生きていれば、相手を理解できる可能性があるじゃないですか。でも、亡くなってしまうと終わりですし、父が変わってくれるとは期待していなかったんですけど、「終わっちゃったな」と思いました。
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ガーシーに脅迫されたときは驚いた
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