マック鈴木が「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」になれたワケ。グラブも持たず渡米したのに…
ヤクルトのユマキャンプで芽生えた思い
1993年には、団の力添えにより、野村克也が監督を務めるヤクルトのユマキャンプに参加することになった。
「川崎憲次郎さん、伊藤智仁さん、そして石井一久さん、彼らのボールはすごかった。このとき、プロってすごいな、自分ももっと練習しなければ、という思いになりました」
このとき、池山隆寛や広沢克己(のち廣澤克実)ら、当時の主力打者を相手に紅白戦で登板するという話が持ち上がったが、「野球協約に抵触する恐れ」があり、「もしも抑えられたらプロの面目が立たない」との理由で実現しなかった。
「仮に打たれたとしても、抑えたとしても、絶対に後にいい思い出話として盛り上がったでしょうね。あのときは肩も壊れていなかったから、投げていればどんな結果になったのか楽しみでしたけどね」
メジャーキャンプ初日の悲劇
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数
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