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マック鈴木が「NPBを経由していない初めての日本人メジャーリーガー」になれたワケ。グラブも持たず渡米したのに…

マイケル・ジョーダンとの邂逅

サムライの言球 このころマックは、NBAの生きる伝説であり、神様でもあり、当時は2AでMLB挑戦中のマイケル・ジョーダンとの邂逅を果たしている。  ある日の試合において、乱闘騒動が起きた。相手ベンチにいたジョーダンがマウンド上のピッチャー目がけて、真っ先に飛び出してきた。 「もちろん僕も、味方ピッチャーを助けるためにベンチから飛び出しました。すると、ジョーダンがマウンドで勝手にコケてしまったんです(笑)」  初めは何が起きたのかわからなかったが、そのシーンをたまたま撮影していたテレビクルーの映像によって事態の詳細が明らかになった。 「転んだところにちょうど僕のヒザがあって、ジョーダンはアゴを痛打していました。僕としては蹴ろうとしたわけでもないし、何が何だかよくわからない状態。乱闘後、何かヒザが痛いな、って思っていたぐらいですから(笑)」

アメリカに渡って4年11か月、ついにメジャーのマウンドに

 1995年、全米ではメジャー1年目の野茂英雄による「NOMOフィーバー」が沸き起こっていた。忸怩たる思いで臨んだ内視鏡手術、そしてリハビリプログラムは1年に及び、ついにシーズン終盤に1Aで復帰を果たす。肩の痛みは軽減され、球速は取り戻しつつあったものの、どうもしっくりこない。  今の自分は本当の自分じゃない。本当の自分はもっとすごいボールを投げていたのに。そんな思いが彼の胸の内を支配していく。それでも。 「1996年は2Aでシーズンを迎えました。本来の調子には戻っていなかったけど、先発で起用されてシーズン序盤で3勝を挙げました」  7月に入ると、当人もまったく予期せぬ朗報が届いた。3Aを飛ばして、いきなりメジャー昇格を命じられたのだ。7月7日、テキサス・レンジャーズ戦、21歳の夏だった。 「2Aからいきなりメジャーでしたから、自分でも驚きました。でも、このときのことは何も覚えていません。やっぱり緊張していたんでしょうね」  アメリカに渡って4年11か月、ついにメジャーのマウンドに上がったのだ──。 【マック鈴木】 1975年、兵庫県生まれ。1992年に渡米、1Aサリナスで球団職員。1993年9月、マリナーズと契約。1996年メジャー初登板。1999年、ロイヤルズ、’01年、ロッキーズ→ブルワーズ→ロイヤルズ。’02年、オリックスにドラフトで入団 撮影/ヤナガワゴーッ! 写真/時事通信社
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数
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